東京産 オオクワガタ 平山修次郎コレクションと原色千種昆虫図譜、手塚治虫氏 | 昆虫漂流記

昆虫漂流記

西日本を中心に昆虫を追いかけています。✌
東へ西へ、過去に未来に昆虫求めて漂流していますが、
近年は、昆虫だけにとらわれず、自然全体から、
観察する眼を持ちたいと思いますのでよろしくお願いします。

東京産 オオクワガタを

平山修次郎コレクションと

原色千種昆蟲圖譜から

(げんしょくせんしゅこんちゅうずふ)

戦前の記録と標本と書籍を参考に

「信頼性の高い現存する東京産オオクワガタ標本」と

「手塚治虫」氏を確認する。

 

 

題目1 東京産オオクワガタ

東京産オオクワガタは戦前には東京各所に生息していたことが確認されています。

しかし、それら真実性の高さを示す標本、写真などが明確に紹介されたブログ等では、非常に少ないようですので、皆様の目に留り、明らかになれば、喜ばしい事と記事に致します。

(私の検索努力が足りないのかネット上、2017年1月現在見当たらない。

 

また、その現存している標本が戦前の「原色千種昆蟲圖譜」(げんしょくせんしゅこんちゅうずふ)

という図鑑に明確に使用されている事については、現在において標本と写真を比べて紹介されている「ブログ記事」、「書籍」が現在のところ、見当たりませんのでこれについても紹介したいと思います。

東京産オオクワガタについては、水上氏によって、「謎の東京産オオクワガタ」として1998年9月号月間むしにて報文が書かれています。

((水上氏(水上哲郎氏)は南アフリカのコロフォン(マルガタクワガタ)の研究で有名な方です。))


その報文によりますと

1992年杉並区郷土博物館からの「東京のクワガタ~世界のクワガタ~」というタイトルで行われる特別展の準備におき、神奈川博物館で行われた「甲虫の魅力―クワガタとハナムグリの世界を探る―」を参考に東京に生息するクワガタムシの分布図を作成されていましたが、オオクワガタの都内での生息は確認する事が出来なかった。
そして、幾つかの過去の資料(1915~1938年)から、故加藤正世氏・平山修次郎氏による高尾山日陰沢、三鷹市井の頭(公園)、杉並区、世田谷用賀での採集例が存在していたと調べられました。
しかし残念ながら、その企画展の際には何れの標本も確認することが出来なく、この「特別展」では、生息不明種と扱われて記録されました。
と記載されています。

 

ところが喜ばしい事に
水上氏はこの数年後、「兵庫県千種川グリーンライン昆虫館」にて「平山コレクション」に対面する事となり、杉並の特別展の際に探しておられた標本に巡り合えることになり「謎の東京産オオクワガタ」を「月間むし」にて書かれることになったわけです。

ここにあげられた年代(1915~1938年)では、当時はクワガタブームも飼育技術も未だの時代で現在の様な放虫やペットが逃げ出したとは、考えられませんので、その年代には野外での野生種(野外種)が生息していたと考えるべき記録ととるべきでしょう。

 

ちなみに文章が長くなればこの記事に取り付きにくいと思い、先にて紹介しておきますが、

これが今回、撮影させて頂きました平山コレクションの1部です。

貴重な標本箱のガラスを外させて頂き撮影させて頂いています。(防虫剤の交換も兼ねて)

 

 


題目2 平山コレクション
「平山コレクション」とは、東京・井の頭公園と渋谷に分室があった個人の昆虫博物館です。

「原色千種昆蟲図譜」(げんしょくせんしゅこんちゅうずふ)などを手掛けられた日本でも有名な昆虫学者、平山修次郎氏(生1887年(明治20)~ 没1954年12.7(昭和29))の4000種類,3万頭にも及ぶ標本コレクションです。
(現在とは違い、戦前においての社会状況での収集では目を見張るコレクションです。)
今回、撮影させて頂いた「謎の東京産オオクワガタ」と言われる標本は、このコレクションの中に含まれています。

水上氏が訪れられた「兵庫県千種川グリーンライン昆虫館(兵庫県昆虫館)」は2009年4月にNPO法人によって「佐用町昆虫館」と新たに開館しましたが、同年8月の台風9号の災害で甚大な被害を受けました。

現在は沢山の人々によって復興されて、賑わいをみせていただいています。
ここに収められていた平山コレクションは、此の災害の後に「佐用町昆虫館」から現在は大部分が兵庫県立人と自然の博物館の管理で保管され、一部は県の別の施設の倉庫にて管理されています。

水上氏が訪れられた、災害前において標本の一部は、いつも常設展示されていたもので、私を含め此処に過去に訪れた事がある人は一度は無意識にでも見ていた標本なのです。
私もこれがオオクワガタと子供の時より見覚えのある見慣れた標本でありましたが、少年心には標本ラベルを気にする事はありませんでしたので、水上氏の記事を拝見してから災害前に再度確認に訪れた次第です。

 

「原色千種昆蟲圖譜」より オオクワガタが図示されたページ

 

「原色千種昆蟲圖譜」より オオクワガタが解説されたページ

 

 
(左)平山コレクションからの標本  (右)「原色千種昆蟲圖譜」からの左上が同一個体

 

「原色千種昆蟲圖譜」オオクワガタ解説欄 。 右下に採集データーがあります。

 

実は「月間むし」の報文中の水上氏の写真では東京産オオクワガタの拡大写真がありませんでした。

(添付写真2枚目になります)

また「原色千種昆蟲圖譜」についての考察が書かれていませんでしたので、これら両者の昔の資料を自分の眼で確認する方法をとるべきと考えました。

つまり、「原色千種昆蟲圖譜」に添付された写真が、私の少年時代の記憶の中の昆虫館で見ていたオオクワガタ標本と同一個体の可能性の確認のため、撮影を保管施設にお願いさせて頂きました。

 

実際本物の標本を確認させて頂いたところ

この東京産オオクワガタの標本は平山修次郎著書、松村松年(まつむらしょうねん)校閲「原色千種昆蟲圖譜」に記載された写真と同じ採集データーと展足形状が同じく、これらの標本にはどちらも、東京、井の頭産のラベル(INOKASHIRA Tokyo Japan 14-9-1931 S.Hirayama )がついていますので同一個体と推定できます。

つまり、この標本個体を図譜に使用された事が判ります。

なお正式な標本ラベルは標本下に隠れて少し見えています。


貴重な標本ではありますが、残念ながらこれらの標本は、80年以上前のものなので

「常設展示」、「災害」、「戦争」を潜り抜けたものなので、一部に壊れたり、緑青のため針がおれている物もありました。

 

また、むし社から発行されているクワガタムシ・カブトムシの雑誌「ビー・クワ」2003年秋 第8号(月間むし10月増刊号)にもこのブログ記事を掲載以降に、下添付記事が掲載さましたが、オオクワガタの絵は図鑑から転用されているので、このブログで実物標本が実在している事を写真で紹介したいと考えています。

 

「原色千種昆蟲圖譜」 と「原色千種續昆蟲圖」

  

 

題目3 「原色千種昆蟲圖譜」
さて「原色千種昆蟲圖譜」という図譜ですが、「原色千種昆蟲圖譜」 と「原色千種續昆蟲圖譜」の2冊から構成されており、 第二次世界大戦前の図譜でありますので、日本統治下になる台湾産の昆虫についても紹介されています。

 

さらに
この図譜は手塚治虫さんが「手塚治虫」と名前を決められたきっかけとなった本です。

兵庫県宝塚市在住の小学校5年生の時に、どうしてもこの本が欲しくてたまらなく、友人(M.石原氏)より拝見させて頂き、オサムシの図示された写真から、ボクは、きょうからテズカオサムシとペンネームを「治虫(オサムシ)」と決めたきっかけとなった図鑑です。

これが手塚治虫さんのきっかけのページです。「原色千種昆蟲圖譜」 より

 

これが手塚治虫さんのきっかけのページの解説。「原色千種昆蟲圖譜」より

 

平山コレクションのオサムシコレクションの一部

 

これより、手塚治虫さんは、生涯、昆虫に魅せられていく事になります。

その後は「原色千種續昆蟲圖譜」の巻頭に収められた、フトオアゲハに興味を持たれたようです。

此のフトオアゲハというのは当時の蝶マニアには「幻の蝶と」言われていたので、それを、持っていた平山修次郎に尊敬の念を抱いていたようです。
「原色千種續昆蟲圖譜」を詳しく見ていくとフトオアゲハは昭和3年(1932年)7月に初めて発見された種で此の
昆蟲圖譜の蝶の採集データーは(20-7-1935 臺灣臺北州烏帽子産)と記載されているので平山修次郎氏は新種発表後に間もなく採集された個体を図示されたことも判ります。

 

後日、手塚治虫さんは少年期を過ごした宝塚から、平山修次郎氏とフトオアゲハに誘われるように東京の井の頭公園にある平山博物館に向かうことになります。

 

参考までに、此のフトオアゲハ、1960年代に発表された「どくとるマンボウシリーズ」で有名な北杜夫さんの「谿間にて」(たにまにて)で短編小説に出てきた蝶です。
この小説の中では、時代背景が第二次大戦直後に信州徳本峠(しんしゅうとくごうとうげ)(以前は上高地に入るのに、主に使われた登山道)で蝶の谷とも云われた島々谷と云う自然豊かな場所で、小説のモデルになった旧制松本高校の学生が、蝶を採集中の男から聞かされた幻の蝶を追う狂気な採集話」というように、この時代のフトオアゲハをとりあげた作品がある様に、憧れていた人々が多かったことが想像出来ます。
地域によっては皆さんが学生時代に教科書に登場した作品ですね。

 手塚治虫さんが魅せられた「原色千種續昆蟲圖譜」のフトオアゲハのページ。


 平山コレクションに収集されていました、フトオアゲハ。

 

 こちらが手塚治虫さんが魅せられたと言われた「原色千種續昆蟲圖譜」に添付されているフトオアゲハと、平山コレクションに収集されていました、フトオアゲハの標本です。

現在は台湾の保護動物に指定されて採集は禁止され、規制前の標本も、高価な価格で偶に取引されています。

 

 これら2冊の図譜は学名、和名において現在の図鑑と名前が違っている物も多くありますので、注意が必要です。


本文中に出てきました加藤正世氏、平山修次郎(ひらやましゅうじろう)氏、松村松年(まつむらしょうねん)氏の個人の紹介は今回は致しませんが、明治から昭和にかけての近代昆虫学に貢献された方々です。

 

平山修次郎氏の議員当時の写真が手に出来ました。

一般的な人とは違い議員という公人であられた事から、敬意の意味で掲示させていただきました。

生1887年7.18(明治20)~ 没1954年12.7(昭和29)

なお生年が1889年と記された資料も見ますが資料不足のためどちらも参考にして下さい。

三鷹市市議会 歴代2代目議長(昭和26年5月17日から昭和28年12月15日) 

 

また松村松年博士の人物写真と直筆サインをコピーさせて頂きましたのでこちらも紹介させて下さいね。

 

今回標本については保管施設より施設名を出しても良いと許可を頂きましたが、防犯上こちらからの施設名の紹介は、この場では控えたいと思います。兵庫県立「人と自然の博物館」(通称ひとはく)の方で管理されていますのでお尋ねください。

(後日、当施設さまが平山コレクションの紹介をされた時には、施設名の紹介を致します)

 

また記事内で撮影させて頂きました標本撮影には、標本箱のガラスを外して撮影している事に気が付く事と思いますが、防虫剤の交換や標本の整頓(昆虫針を中心に色んな方向に回転しています)を行われている為です。

通常はこのような施設での標本箱のガラス蓋を外しての撮影など、出来る事が無いものとお考えください。

 

なお今回の記事を書くにあたりまして、

撮影させて頂いた「施設」様

諸事項をアドバイスして頂きました、東 輝弥氏(関西トンボ談話会) (私のトンボの先生)

戦前の「原色千種昆蟲圖譜」「原色千種續昆蟲圖譜」という貴重な資料等において協力して頂きました、

昆虫文化史の収集と研究をされている、赤松の郷昆虫文化館館長 相坂耕作氏 (私の昆虫の師匠)

に感謝致します。

*~*~*~*~*~*~*~**~*~*~*~*~*~*~*~

(追加記載)

私がこのブログ記事を書き終えてから、後日に発行された書籍の記事があります。

月間むし2011年12月号の記事より「東京産オオクワガタの古い記録」と題して紹介されている記録発表があります。

こちらの記録記事は東京都豊島区目白での1949年8月10日の中歯型のオオクワガタのラベルと標本写真が示されています。

またこちらの報告記事には、他にも某氏の所蔵標本として1933年の東京と目黒区の標本や記録として発表された、1983年7月の府中市、1985年8月高尾山、2002年9月小金井と八王子などの事が、こちらの記事には報告されています。

 

私が知識不足、認識不足の為に後に発表される記録は、これからもまだまだ、見つかる事と思います。

 

最近は、行き先がなくなり、引き取り手が、なくなりゴミとなってしまった標本もあると聞きます。

でも!こんな、大切な標本は、次の世代に残せたら良い事ですね。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~