10月25日

この日は私が喫煙をやめた日です。

10代(内緒よ!)から初めてしまった喫煙の習慣を完全に断った記念すべき日で、

私の第二の誕生日でもあります。

 

絶煙を決心してから、実際に習慣を断てるまでは比較的短かったのですが、

その絶煙を決心するまでの経緯が、本当に壮絶で、

今まで数人の方に、思い切って、もしくは世間話風に話してみたところ、

みなさん、一様に目を丸くして口数が少なくなってしまいました。

ある方からの感想は

「いや〜〜、●●さんがあの話は壮絶だった・・・、って言ってたよ。」

と人づてで言われる始末(汗)

 

冷静に考えると、とても女性がやるようなことではないし、

親兄弟が聞いたらさぞかし歎き悲しむだろうというような話なのですが、

親はすでに天に召され、兄弟は元気に生きているものの、

絶煙成功から10年以上経っており、時効かなあとも思うので、

ちょっと回を分けて書き綴ってみたいと思います。

自分は偉いなあ〜と悦に入ると同時に、

喫煙ほか、依存習慣性のある行為の恐ろしさを知って頂く一端になればと思っています。

 

UFOUFOUFO

 

以前にも書きましたが、私はかなり長い間、

実家の援助を受けて舞台活動をしていました。

しかし、実家もそうそうワガママ娘を甘やかしてもいられず、

ある年に援助が止まりました。

そう突然のことではなかったのですが、もともと金銭感覚が薄く、

計画性を持ってお金を使う等々、

お金を廻す能力に欠けていた私はたちまち行き詰まりました。

大きな出費の一つである家賃支払いを皮切りに、借金生活。

しかしそれでも収支のバランスがつかめずに、

バイトの給料日の遥か前から財布も口座も空っぽになるということが続き、

交通費節約のために、通勤通稽古を全て自転車にするなど、

貧乏との切ない戦いを繰り広げていました。

 

自宅からバイト先、バイト先から稽古場。

バイト先から稽古場は40キロあり、それをママチャリで走るのです。

西友の一番お値打ちな愛車、

チャオ(自転車の名前です)のあちこちがギシギシ言い始めても、

チャオしか頼りになるものがなく、苦し紛れに

音符かわいいチャオは〜〜、わたしのお友達〜〜音符ルンルン

なんて歌を作ってペダルを漕ぎ続けていました。

 

同じ時期に、10年近く一緒に暮らしていた彼氏とも別れ、

体力気力全てがすり減り、舞台活動も続けられなくなり、所属していた集団を離脱。

本当に何もかもが自分の手から離れていった、地獄のような時期でした。

苦闘はわたしを確かに育ててはくれましたが、

二度と同じ経験はしたくありません。

 

UFOUFOUFO

さて、そんなにお金がない状態で、他に何が節約できるかと言えば、

まず食費。味無しの米飯主流になったり、

1週間ほど何も食べられない時期もありました。

ところが、そんな中でも、どうしても止めることができなかったのが、

このブログの主役、煙草です。

 

初めのうちは、給料日まで2・3日我慢して、

給料が出たら、真っ先に自販機に飛びつくという感じでしたが、

お金がなくなってから、次の給料日までの間が長くなってくると、

タバコを求める飢餓感がハンパなく襲って来ます。

食べ物を求める飢餓感とどちらが大きいか、と問われると、

今はあまり思い出せませんが、

質は違えど、大きさにおいては同じくらいだったような気がします。

 

そんなある日。

その日は確か手持ちのお金が100円くらいしかなかったのではないかと記憶しています。

当時は一箱240円くらいでしたから、当然タバコは買えません。

同僚からたまに貰いタバコをしたりしていましたが、

あまり頻繁だと嫌がられます。

(・・・これ、男の人の話じゃないです。改めて・・・)

昼休み、雨が降っていて、持って来たおにぎりを一個食べて、

バイト先のビルの周りをトボトボと歩いていました。

ふと足元を見ると、マイルドセブンライトが落ちていました。

雨にもさほど濡れておらず、拾って見ると、

封は開いていたものの、一本くらいしか減っておらず、

しかもとても綺麗だったのです。

 

UFOUFOUFOUFOUFO

 

続くにやり