公務所が作成する文書=公文書
まずは、公務所側に作成権限がある。
外部がそこに首を突っ込んで…ああだ、こうだ…言う方がおかしい!
…取り調べの可視化…と似たような構図!
問題は!…「不正な文書」だといえるのか?
では…なにが「不正」か!
たとえば、ある、Cとの交渉過程を明らかにする文書を外部に出す場合、
Aと言う相手方と、Bと言う相手方とでは、その内容は、「その過程の道すじで(時間や場所)」は、異なることはあり得ないので、これが違えば「改ざん」にあたるであろう。
しかし、利害の絡む交渉過程で、様々な会話が交わされるほか、さまざまな経過(他者Dなどの介在があるのは当然で、その重要な部分(「その過程の道すじで省略することのできない会話や経過記録」)…それでも、CやDの名誉が関わるような場合には当然明らかにできないであろう。
そして、AとBとでは、作成者が同一か否かによっても異なることも当然であって、その異なる文書を決済するさいに、それが、「妥当(骨子が曲げられておらず、関係者にも支障をきたさない)」と判断されれば、そこには…当然…異なる決済文書ができあがるであろう!
取り調べであれ、…すべて当事者の自主性、独立性(責任)が尊重されなければならないのが民主主義の在りようではないのか?
問題は、「事件を正しく解決すること」、「公正な事務処理」に尽きるであろう!
したがって、マスコミがやるべきは、「ことが起きた(冤罪など)」、そのことの原因を徹底して明らかにすることしかないではないか!
それもしない(報道して騒いでそれでおわり)…営利であるから仕方がないが。(なかには、意図的かどうか…ひっかきまわす場合もある)
それを、まったく無関係の(と言うと…納税者・主権者だ、報道の自由だ、知る権利だなどというので)無責任な外部の人間が…自分の恣意で、首を突っ込み、その要求すべてに、満足のいくように対応しなければならないかのような報道をしているのが…どこぞやのマスコミなのだろう!
まったくもって…意図的な、公務所に対する主権の侵害なのである!
このような感覚は、「国家は、階級によって構成され、権力は国民を抑圧するもの」という「思想」からくるのであろう。
したがって、その逆の意識がはたらいて、公務所(権力)とみると、目の色を変えて攻撃しようとなるのであろう。
国家は国民の代表からなるのではないのか?
おたがいの立場、分をわきまえること、その上で…公務所に非があるのなら理路整然とその不正をただすことをしなければならない。
しかし、資本主義政権(日本と言う国)を打倒したいマスコミには、そのような「問題の本質」など…どうでもよいことに違いない!

