以下は、朝日新聞デジタルニュースを引用
© 朝日新聞 代表団に書簡を手渡す吉村洋文・大阪市長(左)=23日午前、大阪市役所、半田尚子撮影

 

吉村市長は、像設置の再考を求めてサンフランシスコ市のエドウィン・リー市長宛てに書いた書簡を、代表団のキャスリーン・キムラ姉妹都市協会共同委員長に手渡した。キムラ氏は「私たちは友好関係を続ける義務がある」と答え、慰安婦像の是非には言及しなかった。

 両市は1957年10月に姉妹都市提携を結び、市民の語学交流などを続けてきた。慰安婦像は今年9月、サンフランシスコ市の市営公園に隣接する土地に民間団体が建て、同市が今後、市営公園の一部にする方針。吉村市長は先月末、リー市長に「慰安婦像が公有地に置かれるなら、関係を見直さなければならない」との抗議文を送っていた。

 吉村市長は代表団に「皆さんの草の根活動を存じ上げているので、ぜひ関係を続けたい」とも述べたが、「慰安婦像の設置は日本人にとって大きな問題だと市長に伝えていただきたい」と強調した。(半田尚子)

 今活躍中の朝日新聞社の記者の皆さんの多くは、これからも、肩身の狭い思いをしなければならないと思うと憂鬱でならない。

 

 と同時に、外国人に対して、「従軍慰安婦」を否定するとき、「反日日本人や毎日と朝日新聞社」といった、日本のマスメディアの代表的報道機関が、「捏造」して、

北朝鮮より過激な韓国「歴史教科書」のテロリスト史観――佐藤優が読む「隣国の歴史教科書」韓国編(韓国の対日歴史認識を知るために引用;文春オンライン(文藝春秋2015年5月号)

本ブログ2017年10月23日に示された反日韓国に対してさえ、「従軍慰安婦」を移植するのに、およそ17年の歳月を要したことを、

説明しなければならないことを思うと、憂鬱を通り越して、気が遠くなってしまうのだ!

 皇国日本打倒(日本封じ込め)工作として「慰安婦」問題が開始されたのは、今から45年前。

中国の「歴史教科書」は単なる反日教育ではない――佐藤優が読む「隣国の歴史教科書」中国編(中国の対日歴史観を知るために引用;文春オンライン(文藝春秋 2015年7月号)本ブログ2017年10月23日

には、直接触れられてはいないが、「三光政策」などと関連した、対日工作(中国帰還者連絡会など)が開始された昭和32(1957)年。

 それは、共産主義の東側陣営(ソ連・中国・北朝鮮)によって、朝鮮半島を制圧するために開始された朝鮮戦争の7年後(停戦から5年後)。

 60年安保改定を控える日本に、「憲法改正」を掲げる岸政権が誕生した年である。

 博多の情報誌「うわさ」に、麻生徹男という軍医の「戦線女人考」という昭和一三(一九三八)年当時の中国戦線における慰安婦診察の体験手記が掲載された。

 これが、その後の反日日本人・千田夏光による著書「従軍慰安婦」の原型(着想)となったのである。

 今日はここまでとしておこう。