モーセの3大奇跡と10災禍の話ですが、

なぜあそこまでパロが心をかたくなにしたのか、少し不思議ですね。

たくさんの奇跡を見せられていたのに、もう少し早くモーセの言葉を受け入れれば、自分の長子を失うこともなかったはずですね。


この10災禍はこの世の神のような立場であるパロと、

神様のごとき立場に立ったモーセとの戦いだったわけですが、

そのスタートは、蛇どうしの戦いでした。


サタンを象徴する悪なる蛇と、神様を象徴する善なる蛇との戦い。


もうその最初の時点でパロの負けは決まっていました。


負けることはわかっていても、この世の王は、最後まで抵抗するということを表わしています。


王という立場は、どんなことでも自分がすきにできる権限があるということです。


これはどんな人にとってもとても魅惑的な対場ですね。


今までどんなこともでき、すべての人が自分に頭をたれてきたのに、ただ1つ、自分の力に屈服しないものがある。


王にとって、まさに屈辱的なことだったのです。


それゆえに最後の10災禍までパロは抵抗し続けました。


でも、神様には勝つことはできませんね。


力を持つということは、とても恐ろしいことなのです。


地位や名誉、財産などがたくさんあると、正しい判断が下せなくなる人もいるのです。


政治をつかさどったり、経済をつかさどったり、武力をつかさどったりする人々は、公平なる立場を絶対に忘れてはいけません。


力があるがゆえに、いつの間にか自分の心を優先してしまう。

それは間違ったことであるということを、このモーセとパロの戦いが教えてくれています。


皆さんが、大きな権力を持つような立場、会社の重役さんでも何でもいいのですが、そのような立場になったとき、その力を使って、弱いものいじめをしたり、不公平なことをしたりしてはいけないのです。


どんな人も神様の子供であり、皆が神様に愛されている。


そのような目ですべての人々を神様の心、神様の目でもって、神様の対場に立って、物事を見るようにしなければいけないのです。


そうすれば神様が私たちに正しい道すじと、知恵を与えてくださるのです。


自分を優先して物事を考える人の道は、滅びの道なのです。


世界のすべての問題を解決するため、私たちの心の持ち方を変えなければいけません。


競争原理の資本主義から、生きた神様をいただいた共存共栄主義へ、今新たな1歩を。




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