昨日子供の運動会があり、とても懐かしい思いになりました。
1年生のかけっこのとき、体の不自由な子をもう一人の子が一緒に手をつなぎながら、
50メートル走を(2組ぐらいでしたでしょうか)走ったのでした。
自分の幼少のころは、貧乏ではありましたが、とても恵まれていたのかもしれません。
周りにはガキ大将もおりましたし、親切な人や意地悪な人もいましたし、いろいろな人がいましたが、
学校はそのころ特殊学級というクラスがあり、知恵おくれであったり、体が不自由な人の
クラスがありました。
そこのクラスに人気者の体の大きなコンビがおり、いつも踊りを踊ったり、歌を歌ったり、
私たちのクラスにもやってきてはとてもにぎやかで楽しい時間をつくってくれました。
もちろんその二人は皆の人気者でした。
近所にも知恵おくれの子がおり、一緒に遊んだりしましたし、
実家には眼の見えない優しいおじさんがいて、遊びに行っていました。
今は皆が働いたりしていますので、
擁護学校などにそれぞれ通っていたりするのですが、
その分健常者の子供との出会いも少なく、
意外と大きくなってから、そのような子と出会って
驚くと同時にやはり受け入れがたくなってしまったり
してしまうのかもしれません。
子供同士が差別したり、いじめたりするのは、家庭内の親の責任もあるかもしれませんが、
何よりも愛がわからないのが問題だと思うのです。
相手をいじめる優越感よりも、
相手を思いやったとき、よくしてあげたときに、相手から帰ってくる笑顔や喜びを
受けとったときの、その大きな感動が、幾倍も多きいいこと、そしてそれが心によきものとして残っていくことを
知ったならば、誰があえて人をいじめることを
喜びとして生きるでしょうか?
統一教会にいる兄弟姉妹も決して卓越したものでもなく、変わった
人も多いのですが、
教会の中で、いろいろな人と接する中で、
愛そうと努力すればするほど自分に愛のないことがわかり、はじめはがっくりするのですが、
決してあきらめずに努力する中で、自分をよいときも悪いときも
いつも愛してくれている神様の深い愛を理解できるようになり、
どんな人も神様は心より愛していることをしって、
自分の目で見た愛から、神様の眼で見た愛で物事を捉えるようになり、
どんな人でも愛せるように訓練されるのです。
ウルトラマンメビウスの中で、
ウルトラマンジャックの話した言葉がとても深いいので
書いておきます。
人間のよいところも、悪いところも、
美しいところも醜いところも、
すべてをわからなければ、
この星を愛することはできない・・・・・・