『「個性」を煽られる子どもたち』
土井隆義
から抜粋-
(ものものしいタイトルだぁー)
現在の若者にとっての個性とは、
他者との比較のなかで自らの独自性に気づき、
その人間関係のなかで培っていくものではありません。
あたかも自己の深淵に発見される実体であるかのように、
そして大切に研磨されるべきダイヤモンドの原石である
かのように感受されています。
その原石こそが「本当の自分」というわけです。
「私にだってダイヤの原石が秘められているはずだ」と、
さしたる根拠もなく誰もが信じているのです。
成績が悪くて、授業にも出ない生徒が、
『私は絶対に大学に行く』
と言って、大学受験用の選択科目ばかりとってしまうとか
国語能力が低くてどうしてもまともな文章をかけない生徒が、
『ジャーナリストをめざす』と言い張って
ジャーナリストを養成する専門学校へ行ってしまったり、
どう見ても華のない生徒が
『タレントになる』と言って
学校の授業を犠牲にしてまで芸能スクールに通ったりする・・・
このような生徒に対して、教師の側が
『考え直したほうがいいのではないか』
『君にはもっと別の道があるのではないか』
などと言うと、彼らは猛反発して、
『先生がそんなふうに決めるけるのはよくない』
『やればできるかもしれないじゃないですか』などと言ってくる。
というわけだ。
でも私がバイトで中高生を教えていると
ここまで能動的に何かを
探し求めている、
って感じの子はいないのだけど・・・
概して「受身」なので
逆に、教師の反対を押し切ってまで
何かをやってみようとする
という姿勢は歓迎すべきだと
思うけどなー
土井はこう結んでいて
このような個性のとらえ方には、
他者の存在が希薄なように思われます。
本源的に自己に備わった実体の発現過程として
個性を理解するこのような感受性のあり方を
内閉的個性志向と呼ぶ
らしい、です。
現在の若者は、
っていう始まりからして
十派一絡げかよ
ってツッコミたくなるけども。
なるほど、と言えるところも多々。
number one じゃなくてonly one
につても批判してた
only one じゃない、個性的でないのは
価値がないのか
って。
