帰雁の蘆(あし) 新渡戸稲造 

九六 所謂(いわゆる)こどもだまし

その罪の深さ

 アメリカで、夏季休暇に二か月ばかり田舎に転地した時、僕の下宿の近所に小さき職人があって、その子にメーミーという六歳ばかりのかわいらしき娘の子があった。毎日穢(きたな)い着物を着て、素足で買い物の使いに歩きおる。僕は日に二度くらい彼を捕らえて玩物(がんぶつ)にしたが、休暇も終わり、この地を去る時、彼に別れを告げて、「次のクリスマスに何を贈ってあげよう」といったら、莞爾(にこにこ)して、暫く考えた後で、「人形が欲しいの」という。僕は承諾した、というのは僕の心では、僕のポケットに相応な五、六十銭くらいの人形と思ったから、「ヨシヨシ」というと、メーミーがなお要求を続けていうに、「このような大きなのが欲しいの」と、手で二尺ばかりの人形を注文した。加之(しかのみならず)「着物着たの」と一言付けた。ソコデちょっと胸算(きょうさん:胸算用(むなざんよう))しても、ごく下等の品物で二、三ドルのしろもの。独り喜んであたかも人形を手に取りしごとき嬉し顔をして話されるので、僕も前後も顧みず「ヨシヨシ」と承知すると、メーミーは注文の目録に付録を加えて、「人形を乗せて歩く車も欲しい」と、この時に断然断ればよかったのに、こどもの事であるし、もう三か月もたつうちには忘れるだろうと思って「ヨシヨシ」と安請け合いした。その後、約束期限が来て、僕もできるなら完(まっと)うせんと、諸方の店を捜すけれども、大きな人形と車は十ドル内外でなければ揃わぬ。それには僕のポケットがちと浅過ぎるので、とうてい実行は覚束ない、ことに季節柄でもあれば、他にそれぞれ贈り物をせねばならぬから、こどもに二十円も出す訳にいかない。結局七、八十銭の小さい人形を買って贈ってやった。無論挨拶の手紙が来るわけもないが、彼も喜んだろうと信じていた。

 次の夏また同じ村に行った。なじみのメーミーがまだ忘れまい、定めし愛らしい微笑をもって歓迎してくれるじゃろうと自惚(うぬぼ)れながら、彼の家を訪ねたところが、鶍(いすか)の嘴(くちばし)、僕を見て、ただに挨拶せんのみか、はなはだ不快の顔をする。怨むがごとく、怒るがごとく、この方からものをいいかけても更に返事もせぬ。翌日また彼と二度繰り返して、そのほか何もいわない。この時は豆腐で歯を痛める心地がしたが、七つの稚児(ちご)に僕の財政困難を説明するでも無いと思って、言(げん)を左右に託してお茶を濁そうとするけれども、ただ一点張りに「あなたは私を欺いた」というて、抱いていた僕の手を振り切って去った事があった。

 無想兵衛の少年国にも論じてあるが、「この所までおいで、お菓子進上」で育てられた、わが輩はこれしきの事と軽く取って、こどもに約束したが、かくも言葉を固執するかと思ったら、聖書の文句が心に浮かんで、「我を信ずるこの小さきものの一人をつまずかする者は、ひき臼をそのくびに懸けられて海の深みに沈められん方なお益なるべし」と。この経験後は、こどもにはむつかしき約束は決してしない。