奈良本辰也氏の「志とは何か」に「武士道ーその心と軌跡ー」という章がある。

「武士というものの台頭は、遠く平安期の中期にさかのぼって考えることができる。
そして『武士道』もまた、この武士の発生以来、わが国の風土に即して徐々に形成されてきたものである。」から始まる。

鎌倉の阪東武者は勇気を重んじ、卑怯なふるまいを恥じた。
平治の乱で敗北して、逃れる途中の源義朝は頼った長田庄治の家で殺された。
その時、義朝の従者金王丸は、その敵の館から逃れ出る時、馬に後ろ向きに乗って、
「俺は敵に後ろを見せて逃げるわけではないぞ」と叫びながら馬に鞭をあてたという。
それほど、敵に後ろを見せない勇気を称賛したのである。

鎌倉時代、禅宗は武士の精神生活に非常に大きな影響を与えた。
「死生一如」、「常在戦場」という言葉が、日常的に使用された。

武士は戦いを前提とする。そして戦いは常に死の恐怖と共にある。
こうしたときに、武士の心を支えたのが武士道であった。
それは、いつ死んでも悔いは無いという覚悟であった。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠れの言葉として端的に表される。

奈良本氏は『甲陽軍艦』の馬場美濃守(みののかみ)の対話を紹介する。

「美濃守どの。
 お手前はこれまで幾度も戦場に出られ、いつも戦いの先頭にたたれ、数々の勲功を立てられた。
 それなのに、見るとキズ一つ受けておられぬ。どういうわけでござらう。」

美濃守が質問の意味をはかりかねて黙っていると、その者は

「お恥ずかしゅうござるが、拙者の身体はこのとおりキズだらけでござる。
 拙者などは、いざ突撃となると目の前が真っ暗になります。しかし拙者は臆病者になりたくないから、前へ前へと飛び出していく。この傷跡は、拙者の臆病心がそうさせたのでしょう。お手前を見ると恥ずかしゅうなります。」

と言う。美濃守はこう答えた。

「突撃の合図を聞いて、目の前が真っ暗になるには、拙者も同じでござる。
 しかし、馬をニ三歩走らせますと、やがて目の前が月明かりのように開けてきます。
 前方に敵を見るとそれをめがけてヤリをふるう。敵のうちふるうヤリや刀を避ける。
 それが拙者が傷つかない理由でござろうか。」

「拙者と違い、どうしてお手前の目の前はいち早く月明かりのように開けていくのでござろうか。」

「<b>それは拙者が、いま死んでも悔いることはないと、すぐに悟る心を持っているからでござろうか</b>」

 死をいつも心に置くこと、それが逆に生へとつながる ということを戦いに身をおいた武士は知っていたのである。

「<b>死さえ、常に心にあてれば、忠孝の2つの道にかない、よろずの悪事災難をものがれ、その身は無病息災で寿命も長くなり、あまつさえその人柄までもよろしくなる</b>」と大道寺友山は『武道初心集』に記していると奈良本氏は紹介されている。