賢治の足跡たどろう 苫小牧来訪90年 5、6月に記念イベント(03/27 16:00)

 【苫小牧】詩人・童話作家の宮沢賢治が1924年(大正13年)5月21、22日に苫小牧を訪れてから今年で90年になるのを記念して、講演会や展示会を盛り込んだ記念イベント「宮沢賢治ワールドin苫小牧2014」が5月から6月にかけて開かれる。ゆかりの地を歩く「賢治ウオーク」のほか、全国の研究者や賢治ファンが所属する宮沢賢治学会イーハトーブセンター(岩手県花巻市)による勉強会も苫小牧で初開催される。

 教員だった賢治は修学旅行の引率で道内を回り、王子製紙工場の見学のために訪れた苫小牧で詩「牛」とその下書き稿の「海鳴り」を残している。

 90年の節目を機に、NPO法人ゆうべあまちづくりネットワーク(大石和美理事長)が中心となり、賢治ウオークや、ゆかりの作家による版画展、リーフレット制作などを企画。「賢治と苫小牧のつながりを広く知ってもらいたい」と準備を進めている。

 同学会の勉強会「苫小牧セミナー」は5月24日開催で、同法人などが誘致した。研究発表や交流会のほか、スタジオジブリの映画監督、高畑勲さんに講演依頼をしており、全国各地から100~150人の来場が見込まれるという。

 3月19日には実行委の初会合が市内で開かれ、委員長に就いた福原次郎・苫小牧観光協会長は「歴史を学びながら、苫小牧の良いところを市民が一緒に見つけてPRするような機会にしたい」と話した。(荒井友香)



 祖父、野村洋三は明治、大正、昭和の横浜を「懸け橋」として生きた。美術貿易商「サムライ商会」を創業し、ホテルニューグランド(横浜市中区)会長時代には、終戦後、同ホテルを最初の宿舎とした連合国軍最高司令官マッカーサー元帥を迎え入れた。

 「横浜が輝いていた時代を生きた祖父の足跡を形に残したい」。ニューグランド取締役を務める傍ら、祖父の生涯と重なる横浜の近代史探究を続ける野村弘光さん(81)は昨年、人気ジオラマ作家の山本高樹さんに「サムライ商会」の“復元”を依頼。25分の1の豪華絢爛(けんらん)な店舗が完成した。26日から4月7日まで玉川高島屋(東京都世田谷区)で開催される山本さんの「昭和幻風景ジオラマ展」に展示される。

 洋三は20代で渡米。帰路、船上で出会った新渡戸稲造の「太平洋の懸け橋に」という信念に感化され、自らは横浜港に上陸する外国人相手に日本の美術品を売ろうと明治27(1894)年、サムライ商会を開店した。店の名は新渡戸が説いた「武士道」にちなんだ。

 得意の英語で客の心をつかみ、赤色の馬車による送迎サービスも評判に。日本の名工を発掘して海外に紹介するなど「店は横浜の文化交流の場となった」と弘光さん。しかし、大正12(1923)年の関東大震災で焼失。ホテル経営に転身した洋三に昭和20年8月末、大役が回ってきた


占領軍が横浜入りした翌朝。苦労して調達した一個の卵をマッカーサーにふるまった洋三は、「占領を平和的に行うために婦女子の安全確保と食糧供給をお願いしたい」と民間人の立場で直訴した。「敗戦国だからと卑屈にならず、堂々とふるまう度胸が祖父にはあった」。その“おもてなしの心”は今日も新しいと弘光さんは感じる。(渡辺浩生)

おかえり「二宮金次郎像」 竹田市荻小学校


[2014年03月26日]


大分県竹田市荻町の荻小学校玄関前に二宮金次郎像が設置された。

長い間行方が分からなくなっていたが、2012年2月に37年ぶりに、見つかった石像。

住民から「元の目立つ場所に」との意向があり実現した。
 除幕式が24日、同校であった。

全校児童104人らが出席。

倉原邦夫荻公民館長が、同公民館で石像が見つかった経緯などを説明。

首藤勝次市長が

「金次郎は、幼いころからよく勉強し、自分のためだけでなく地域のために働いた日本を代表する人。

登下校のときに像を見て元気をもらってください」とあいさつした。
 荻公民館によると、像は高さ85センチ。今回の設置にあたって高さ1.5メートルの台座を作った。

荻小学校が統合し現在の位置に移った1975年まで、同校の校舎前にあった。

戦前は銅製だったが、戦時中に供出され、有志が同じ場所に石像を設置したらしい