『クリムト展に行ってきた』

「ベートーベン・フリーズ」(ベルヴェデール宮オーストリア絵画館、ウィーン)は、第十四回ウィーン分離派展のために壁画として制作された大作で、今回のクリムト展では原寸大の複製が展示された。

「ベートーベン・フリーズ」の一部



この作品のテーマは、ベートーベンの第9交響曲であったというのが公式の解釈となっている。今展覧会でも、音声ガイドのバックには第9が流れていたそうだし、壮麗さということでは確かに第9を飾るにふさわしい絵画と言えよう。ベートーベンの最高傑作を聴きながらの鑑賞とはなんとも贅沢の極みだけれども、しかし、果たしてこの大作壁画を無音で眺めているうちに自然に沸き起こってくるのは、ベートーベンの楽音だろうか。ベートーベンの音楽は第9と言えども、その音色はモノクロかせいぜい茶色のように思える。西洋のクラシック音楽が華やかな色彩を獲得するのは、良くも悪しくも、ベルリオーズやR・コルサコフ、ラヴェルやレスピーギまで時代が下ってからである。これは何もベートーベンを貶めているのではないのであって、色彩を獲得するというのは、ある意味堕落とも解釈しうるからである。だからと言って、クリムトを貶めているのでもない。「ベートーベン・フリーズ」は第9と比較するには現代的過ぎるし、きらびやか過ぎる。ベートーベンに金色は似合わない。とは言え、この作品のBGMに第9が流れていたら、やはりそれなりの相乗効果をもたらすだろう。この音楽と絵画の二大傑作はあい補っている。補っているということは、元々性格を異にしているからでもある。かつて、文芸評論家の河上徹太郎は、リヒャルト・シュトラウスのことを堕落したモーツァルトと呼んだ。なかなかの名言で、この大作壁画の基調をなすのも、音楽で比較するならベートーベンより遥かにR・シュトラウスに近いものを感ずる。
最後に、─漆喰にカゼイン絵画で画くという近代絵画らしからぬ技法は、革新的芸術家というクリムトの名声を確固たるものにした。と解説にあることを付しておきたい。