『象徴としての円』マンフレート・ルルカー



【世界のすがた】

─キリストのかわりにキリストを象徴するものが聖なる中心を占める場合もある。十字架、組み合わせ文字、子羊(神羔)、あるいは、中世の文学においては聖杯がそれである。

─十二という数は初期キリスト教及び中近東の絵画に描かれる円い晩餐の食卓にすわる使徒たちの数と一致する。

─地球の臍や、(生命の樹との混交によって)キリスト教観において十字架におき換えられた宇宙樹も、円卓上の聖杯と同様中心の象徴である。

─宇宙の真に永遠にして根源的な完全性を表すために適切な形状として考えられたのは、円から三次元的に発展した球であった。

とルルカーは述べる。球はどこから観察しても円に見えるから、根源的で完全性を有するものと見なされたのも当然だろう。

─紀元前六世紀からギリシャ人によって使用された宇宙の形状についての概念〈天球(スファイラ)〉はキリスト教文学にも取り込まれた。

─中世の無教養な人々は地球を平たい円盤のように考えていたが、学者の多くはすでに地球が球形をしていることを知っていた。

つづく。