新宿のスポーツセンターのエントランス前にある桜。昨日(三月二十日)撮った。下の写真は同日、別の公園に咲いていた寒緋桜。
ともに染井吉野ではない。



今日、三月二十一日、東京では桜の開花が発表された。その種類はたくさんあるのに、今の日本では桜と言えばそのまま染井吉野を指す。桜の開花とは染井吉野の開花のことで、桜前線も正確にいうなら染井吉野前線とでも称すべきなのかもしれない。細かいことはともかく、何故こんなことを言い出したかというと、次の芭蕉の句がふと頭に浮かんできて、このとき、芭蕉の念頭にあったのはどんな桜だったのかという疑問が沸いてきたからである。

 さまざまの  こと思い出す 桜かな  (芭蕉)

染井吉野は江戸後期に交配によって人工的に作られたクローンだというのが定説で、勿論いくつもの思い出と結びついていた芭蕉の桜はこの染井吉野ではない。西行の和歌にも親しんでいた芭蕉にとっても、すでに桜は他の花木とは違う特別な存在だったろうし、普通に自生していたヤマザクラあたりを念頭にして詠んだのかもしれない。ただし、さまざま、とした点から、色んな種類の桜が色んな種類の思い出を喚起させたとも解釈できる。
芭蕉の詠んだ桜は、我々現代の日本人が考える染井吉野ではない。にもかかわらず、彼の一句は今もなお、いや、昔以上に、我々の心情の真実を不思議なほど見事に言い表している。
桜の季節はちょうど卒業や新学期、入社式の時期にあたっている。そんな各種イヴェントと桜を結びつけた歌も沢山作られた。桜によって思い出される記憶は昔に比べると断然増えてきた。
染井吉野も卒業式も芭蕉の時代にはなかったのに、上の一句は、まるで予言であるかのように現代日本人の心情を表現している。それが、文学の、あるいは芸術の力なのかもしれない。
現代の日本人は芭蕉の生きていた時代以上に桜という花一つで、さまざまなことを思い出すようになったのである。