【老いと死について】という本 | ベジタリアンの妊活・妊娠・出産・子育てブログ(旧天ちゃん生活)

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二人目を出産しました。現在は子育てと三人目の妊活しています。ヴィーガン・ベジタリアンで生活して本当に健康で問題なく子どもが生まれるのか心配な方に、大丈夫でしたよとお伝えしたい。安心して妊活に励んで下さい。

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【老いと死について】という本を読みました。テーラワーダスリランカ上座仏教のスマナサーラ長老の本です。長老の本はかなり読み尽くしたつもりになっていましたが、新刊がでていました(もちろん、行きつけの図書館で発見しました)。新刊といっても一年前に発行されたものでした。

内容は、これまで読んだ本で知ったお説教がいくつかありましたが、特に得心がいったお説教が二つありました。

一つは輪廻についてです。
まず、これは因果の法則をきちんと理解する必要があります。
世の中は因果の法則 に支配されて(で成り立って)います。例えば、「たくさん食べ過ぎたので、今はお腹が苦しいです。」「火を触ったので、火傷しました。」「炎天下に死体を放置したら、腐ります。」といった感じです。
つまり、【何かをすれば、必ずそのツケがまわる】ということが因果の法則です。
具体例としては、某さんが生まれてから死ぬまで、人に尽くし尽くし愛し愛し続けたけれど、全ての人に裏切られ見捨てられ脅され苦しめられ傷つけられ最後には殺されたとします。本来、某さんが人に尽くし愛すならば、某さんが誰かに尽され愛され返ってくるというのが法則になります。そして、某さんが人に裏切られ見捨てられ脅され苦しめられ傷つけられ殺されたのならば、過去にそれと同じようなことを某さんが誰かにしたため、それが某さんに返ってきたと考えられます。つまり、一生のうちにしたツケが一生の内にまわらなければ、死んでからまたは生まれ変わってから払う(またはもらう)ことになるということです。
よって、因果の法則を理解すれば、輪廻転生という考えが自然ということになります。






そして、もう一つは死後の世界についてでした。
これは心のエネルギーについて理解する必要があります。心のエネルギーとは何と曖昧なと思う方もいるかもしれません。
私たちは歩いたり、手紙を書いたり、ご飯を食べたりします。それは心のエネルギーがあるからです。歩くとき、足も地面も物質です。紙もペンも、お茶碗もお箸もご飯も物質です。そして、それらを動かしているのは、私たちの心です。物質には心(意識)がないので、変化はすれど、自ら動くことはありません。生きている人間が、重い上半身を細くて弱い造りの足で支えられていることができるのは、「立つ」という意識があるからです。立っている時にものすごく眠くなって、実際にうっかり眠ってしまったら、「立つ」という意識がなくなって、倒れてしまいます。
肉体が死んだ場合、心のエネルギーは、霧散して空気に溶け込むようにして消えてなくなるのでしょうか。どうやらそうではないらしいです。紙を燃やせば灰になります。しかし、物質が消えてしまったわけではなく、形が変わったけれど、物質が残っています。ですから、肉体が死ぬ時に、心のエネルギーが消えてなくなるという考え方は論理的ではありません。物質も心もどんどん変化しています。しかも、物質は心ほど派手ではありませんが、心の変化は休まる暇もありません。常に何かに対して反応しています。ときには、動揺したり悲しんだり感動したり、激情したりと大きく動くこともあります。それほどのエネルギーに満ちた心が、死後、無になるというのは、非論理的だというのが仏教の考えです。



私は死後の世界や霊的存在を確信しています。しかし人間の五感で見たり聞いたりできないので、身近な人に問われたとき、うまく説明できませんでした(そんなときはシルバーバーチの霊訓をお渡しすれば良いのですが)。ただ、こちらの二つは今まで耳にしたどの説明よりも科学的だと思いました。今後の糧になりそうです。

「何が原因かはわからないけれど、原因がないのに何かが起きたということはあり得ません。それだけは確かです」このように因果の法則にのっとって考えた方が理性的で現実的で具体的です。生きている私たちは、これからも死後の世界が真実か確認することはできないかもしれません。ただ、因果の法則をきちんと理解していれば、何が起こっても明るく清らかな気持ちで生きることができます。自分を常に助けてくれる周りの人々の心を傷つけないように、全ての生命をいたわる気持ちで生きたいです。



章の終わり毎に、お釈迦様の言葉が抜粋して載ってあります。

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