紆余曲折を経て、漸く目的のナザレ園に到着。

とても素敵な施設です。

《慶州ナザレ園(けいしゅうナザレえん)は韓国慶尚北道慶州市にある施設。1945年の終戦後、朝鮮半島に取り残された日本人女性の一時避難場所を目的として設置されたが、日本に身請け人のいない日本人女性達が帰国できずに施設に残り、やがて養老院の体を成していった。》
ウィキペディアより。

まずはナザレ園のあらましをまとめた20年以上前の日本のテレビ番組映像を見せていただきました。 

勿論、訪れるからには少しは調べたり勉強したりしていたので知っていたつもりではありました。が、改めてナザレ園の歴史や入居者の方々の想いを目の当たりにして、全員絶句…気付いたら涙が溢れていました。

強くなる想いと緊張を胸に、皆支度に取り掛かります。

アキちゃんの大銀杏結髪はマチ姉が。

てんてこの名物コンビ
「みっちゃん&あっちゃん」
お互いグルーミング帯を直し合います。

こちらは恒例の「あっちゃん、マチコ捕獲の図」

そんな、いつもながら、でもいつもとは違う緊張感の中支度を済ませ、会場へ。

ミサの後での披露との事なので、
最後の賛美歌が歌われているのを外で聞いています。上に飾ってある写真は、創立者の金龍成さん。差別をなくし、日本人のおばあちゃん達を助ける為、沢山沢山尽力してくださったそうです。

あ。お気づきの方もいらっしゃるかな。
ボランティアの時はいつも「悠千代浴衣」なのですが、今回は「せんなり」マスターの『色が沢山あったほうが喜ばれるのでは』という助言に基づき、ピンクと青の浴衣メインでした。

さて、いよいよスタートです!

こちらは舞台上と舞台裏を同時におさめた貴重な瞬間。マチ姉、ナイスショット❣️

次の演目をチェックする人、小道具を準備する人、汗拭く人、様々。

カナ様とリン&ケンコンビでお送りした
「お猿の籠屋」

先生はソロで「釜山港へ帰れ」を。
観ている皆さん、大声で歌ってくれました!

そのほかにも、「さくら、さくら」や「ふるさと」を一緒に口ずさんでくれた鹿児島出身のおばあちゃん。「アリラン」で立ち上がって踊ってくれた103歳のおばあちゃんなど…もぅ…危うくこちら、声を上げて泣きそうになりながらも
「踏ん張れ!」という先生の声に背中を押され、最後まで全力で踊ることができました。

終わってから皆さんとお別れする時に、韓国人のおばあちゃんに手をぎゅーっと握られて何かを話しかけられたんですが全く分からず、
「ありがとう、お元気で」としか伝えられなくて凄く悔しかったです。
次に来る時はもう少しハングルの勉強して来よう、と心に決めたてんてこさん達でした。
宋園長先生を囲んで最後に記念撮影。

マスターには通訳、進行に加え、音響まで完璧にこなして貰っちゃいました!本当に感謝しかありません…❣️

そして、今回1番びっくりしたのは、園長の宋先生は無償でここに働いている、という事。
別れを惜しみつつ、宋園長先生に「また来ます!」と力強く伝える我らが悠千代先生。

今回はおまいりできませんでしたが
ナザレ園で亡くなった日本人女性たちのお墓が、海の向こうを見渡せる丘の上にあり、そこの石碑にはこう刻まれているそうです。

私たちは死んだら韓国の土にかえりますが
魂だけは祖国の日本に帰りたい

また訪れたい。その時はお墓まいりもしたい。
そう強く思った今回の慰問でした。