山のような荷物
昨日の17時。
約束通り、高校へ出向き…息子の退学届を出してきました。
こんな形で早々去る事になろうとは…
募る思いもあるけれど、淡々と手続きして帰ろう。
そう思って挑みました。
でも、文化祭用で準備してくれていた名前入りのクラスTシャツや、研修旅行のアルバムなんかを渡されたら…もうダメでした
涙腺崩壊
いつ登校してきても良いように…机は綺麗にしていたし、体育祭なんかも滑走順などの演目に入れてもいたとか。
それも先生からの提案ではなく、クラスメイトからの提案だったそう。
確かに息子は、このクラスにいたんだ。
そう感じた瞬間から、もうダメでした
ちなみに、主犯格の同級生は1年の頃のクラスメイトてあり…今のクラスにはおりません
なのに散々な目に遭いました。
苦しみました。
悲しみました。
悩まされました。
視野を広げれば、もっと別な形で新たな友達と出逢えたのかもしれません。
それでも息子は、二度目のSNS絡みのイジメと誤報を信じて離れていった周りの友達を目の当たりにして、もう立ち直れなくなりました。
結果、戻ってきてくれた友達もいたようなのですが…息子の中にはもう心からの信用は出来ない上べだけの仲間にしかすぎなかったようです。
それでも息子は、クラスの一員としてちゃんとカウントし続けてもらえてました。
学校や先生が悪い訳ではないだけに心苦しい限りでしたが、今の息子には環境を変える事が必要な選択であり…ちゃんと今は生きる道を選んでいるので、それだけでもだいぶ進歩したんです。
先生と今の息子の様子を話しました。
学校に最後まで行く事は出来なかった息子でしたが、電話でしっかり先生に挨拶する事は出来ました。
先生は、手を振るわせながら泣いていました。
自分が至らないばかりに…っとよくおっしゃってくれていましたが、本心だった事を改めて感じました。
本当に先生には恵まれた息子でした。
学校が変わっても、教え子である事には変わりないから。
その言葉が有り難かったです。
こうして、手続きは終わり…荷物を引き取りに教室へ行きました。
キャリーケースを持参していたので、それなりに量はあるんじゃないかとは思っていましたが…
キャリーケースでは入りきらない量になり、もうドン引きでした
先生も苦笑い
いろんな意味で、引きずってでも連れてくるべきだったかと感じました
クラスメイトの子が1人、教室で自主学習をする為残っていました。
察して、息子のロッカーの場所を教えてくれました。
息子によろしく伝えて下さいとも言われました。
…なんて良い子
息子の分まで頑張ってって心で思いました。
先生に見送られながら、学校を去りました。
とにかく重すぎる大量の荷物を転がしながら
只今、左手は骨折の代償で筋力握力共に弱った手。
右手は、骨折中に駆使し過ぎた結果の肘がずっと損傷中の私
この荷物は、本当に厳しすぎる重さでした