前回の『龍王館』から

 

明治通り沿いを西に向かって

 

昔からあるレンガ造りの洋館

1階が老舗パスタ屋さん『PePecino』

2階が『カレーの二重丸小戸店』

 

 

 

 

のすぐ横道の入り口にある

 

小戸大神宮参詣道』の石碑を

 

真っ直ぐ、小戸公園に向かいます走る人

 

 

 

 

 

小戸公園には何度も来たことがありましたが

 

2つの神社があると知ったのは最近です。

 

今回の『小戸大神宮』は

 

神社で参拝の際に、必ず唱えられる

 

祓詞の一文

 

『皇御祖神伊邪那岐大神

 筑紫日向の橘の小戸阿波岐原

 御禊祓給えし時に生座る~』

 

筑紫=古事記の国生みでは筑紫島(九州)とされ

     古代福岡地域を筑紫国とされた。

 

日向=日いづる方に向いた方角

     糸島市に日向峠があります

 

小戸=波で削られてできた狭間を指す

    小門(おと)が地名の由来

 

阿波岐原(檍原)=今津湾らしいです

 

にある由緒ある場所ではないかと云われています。

 

 

 

宮崎県にも日向灘に面した小戸の瀬の

 

通りにある小戸神社(神社HP)があるそうです。

 

 

 

 

 

 

かなり久しぶりに来ました~💗

 

いい天気です~キラキラ

 

 

 

 

小学校の遠足で初めて来たとき

 

この浜で子カニをたくさん捕まえて

 

とっても楽しかった思い出があります爆  笑

 

 

 

 

ヨット⛵がちょうど出航

 

気持ちいいだろうな~照れ

 

奥の小山が

海沿いの神社シリーズ(2)糸島横浜『熊野神社』

 で紹介した今山

 

 

 

 

さらに奥に見える山が

 

糸島富士と云われる加也山です🏔

 

 

 

花火小戸大神宮花火

 

 

 

北にむかって進むと

 

右手に鳥居神社が見えてきましたランニング

 

 

 

 

 

結構奥まで階段が続いていますランニング

 

 

 

小戸大神宮 ~案内板より~

 

海中から引き揚げられた銅矛二本が神宝とされ

享保10年(1725)福岡藩六代藩主黒田継高

社殿を建立しました。

 

木製の剣や戈を奉納すると瘧(熱病)がなおると信仰されました。

 

この地を、伊邪那岐の神が「みそぎ祓」をして

天照大神を生んだ「小戸の橘の檍原」(日本書記)の地とする説もあります。

 

境内とその周辺には、神功皇后伝説にまつわる

御腰掛石(安産石)や御膳立の海岸などがあり

元寇防塁の跡も残っています。

 

 

筑前名所図会(1821)-福岡市博物館蔵

 

小戸大神宮(福岡市公式シティガイドYOKANAVI)より~

 

伝説では伊邪那岐(いざなぎ)の神の「みそぎ祓(ばらい)」をしたところで天照大神、志賀三神、住吉三神が出現したという由緒の地とされている。享保10年(1725)6代藩主黒田継高(つぐたか)が社殿を建立し、伊勢神宮の古例にならい、20年ごとに新旧両殿交互に改築遷座が行われていた。神功(じんぐう)皇后の休憩安産石の由緒により、安産祈願またけいれんの病に霊験があるとされている。附近に皇后の朝鮮出兵にちなむ「御膳立」の磯があり、海中に配膳の形をした岩盤24個がある。

 

 

 

小戸大神宮略記  ~案内板より~

 

御祭神 

天照皇大神(アマテラスオオミカミ)      

手力雄命(テヂカラオノミコト

栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)

 

祭日 一月一日 元旦祭(初詣一日~二日)

            四月第一日曜日 例大祭(午前十一時)

 

由緒  

小戸大神宮や神代の昔

伊邪那岐命が御禊祓の神事を行われた

尊い地であり、皇祖天照皇大神を始め

住吉三神、他の神々が御降誕され、

神功皇后の御出帥(ごしゅっすい)及び

凱旋上陸された実に由緒深い神社であります。

 

全国の神社で奏上されております祓詞の中に

小戸の地名が入っております。

 

 

 

 

 

途中、右に進む石畳の小径がありました目

 

 

 

 

小戸地蔵尊の看板がビックリマーク

 

後で行ってみようニコニコ

 

 

 

 

階段を登りきると

 

東屋のような拝殿があります。

 

 

 

 

お賽銭箱がお社の形をしています。

 

二礼、二拍手、一礼照れ拍手キラキラ

 

 

 

 

両側の更に上に続く階段を上がると

 

本殿がありました。

 

 

 

 

木々に囲まれた静寂な雰囲気

 

日の光が柔らかく温かい照れ

 

二礼 二拍手 一礼照れ拍手キラキラ

 

お参りに来れて嬉しいですアップ

 

 

 
 
森の木々に囲まれた
 
緑の御屋根赤い格子の白いお社キラキラ
 
 

 
 

本殿左横の高い木🌲から

 

トントントン音譜

 

キツツキの叩く音がびっくり

 

小柄な姿も見えました爆笑

 

 

 

 

 

左側には

身重だった神功皇后が腰掛けられた

御腰掛石(安産石)

玉垣に囲まれています。

 

 

 

 

右側には

 

姪浜漁港の方々が修復奉納したとある石の祠

 

御祭神はわかりませんでしたあせる

 

大事にお祀りされていましたおねがい

 

 

 

 

下の地蔵尊から立ち上ってくる煙と日の光キラキラ

 

神社裏の小山には4基の古墳と

 

幕末期の砲台跡があるそうです。

 

 

 

 

再び階段を下りて

 

 

 

 

地蔵尊へお参り

 

 

 

 

開けた広場の奥に 弘法大師像

 

 

地蔵尊霊場~十三仏~

 

お世話されている方がおられましたおねがい

 

お邪魔にならないようにお参りさせていただきましたお願い

 

 

馬に乗った勝軍地蔵大菩薩

 

こちらはお馬さんが横向きタイプです🐴

 

 

中央の延命地蔵大菩薩

 

 

毘沙門天

 

 

休憩所の小屋に貼られていた龍の奉納画

 

躍動感があるな~龍

 

 

 

 

階段を下りようとすると

 

出口に向かって

 

鳩がまっすぐ一列に並んでいましたびっくり

 

 

 

 

近寄っても逃げない音譜

 

ご飯が欲しかったのかもニコニコ

 

 

 

 

参道に戻ると

 

 

 

 

鳥居の横から、綺麗なさえずり音譜

 

ジョウビタキのようですラブラブ

 

野鳥がたくさんいますね~オカメインコ

 

 

 

 

参道の先は海船

 

 

 

 

姪浜歴史探訪観光案内図  ~案内板より~

 

【地名の由来】

神功皇后が三韓遠征の帰途、上陸の際

下着の衵(あこめ)がぬれたので

砂浜で乾かした浜を『あこめのはま』と

云っていたのがのちに訛って姪浜になった。

 

【概要説明】

旧姪浜に伝わる伝説では、神代期に

イザナギ命がミソギ祓えの儀式を行い

住吉、志賀、警固神を始め

アマテラス、ツクヨミ、スサノウの三貴神の

誕生の地と云われ所謂、

『筑紫の日向の橘の小戸のあわぎ原に…』

と全国の神社の祝詞に奏上されている

由緒ある場所である。

 

又、神功皇后の三韓遠征の出発地

凱旋帰還地とされる他、

 

大和朝廷が武内宿禰を筑紫の観察使

としてこの地に派遣した。

 

鎌倉には鎮西探題が置かれ、後、

中国の元が覇権を求めて当地に攻めてきた

(文永の役)

 

再度の襲来に備えて石積防塁を築いた後

再び攻めてきたが、防塁に阻まれて上陸できず

奇跡的な台風により壊滅し国難を逃れた。

(弘安の役)

 

このことから旧姪浜は、

日本神話のふるさとであり

日本国防の最前線基地と云える。

 

 

 

 

 

姪浜地区がこんなにも

 

見どころ満載の場所だったとは!!

 

神社にまつわる歴史と自然の美しさキラキラ

 

ご先祖も含め地域の人々の暮らしを知ることで

 

どんどん愛着が湧いて

 

ますますこの土地を好きになっていきますおねがいラブラブ

 

 

 

今回も最後まで読んで頂いて、ありがとうございました照れお願いキラキラ

 

 

次回はもう一つの神社

 

『小戸妙見神社』を紹介しますニコニコ