明治の始めまで水主町に竜福寺という寺があった。(今は水主町児童公園となっており、古い住職の墓と個人の墓が10数基あります)
島原のお寺と兼ねていた住職が、「年を取ったので岩国の自宅で隠居する。その間色々世話になった。」と松下徳兵衛に島原ソーメンを進物したと日記にあります。(嘉永四年1851年)
島原の乱後、小豆島から移住したものが手延ソーメンの技術を伝えて今の島原ソーメンがあるようです。
明治の始めまで水主町に竜福寺という寺があった。(今は水主町児童公園となっており、古い住職の墓と個人の墓が10数基あります)
島原のお寺と兼ねていた住職が、「年を取ったので岩国の自宅で隠居する。その間色々世話になった。」と松下徳兵衛に島原ソーメンを進物したと日記にあります。(嘉永四年1851年)
島原の乱後、小豆島から移住したものが手延ソーメンの技術を伝えて今の島原ソーメンがあるようです。