私が思うに物理教育は中学と高校に非常に大きな溝があって、高大にも少なからず溝があるのが実情に思う。
小学校の理科では「物理」にあたる分野は光や電気の実験をした時にどうなるか?といったもので、簡便な実験で理解をし、数字はあまり使わず
「定性的」な扱いに止まる。
中学の理科になると、小学校にはなかったものとして、「用語の定義」をしっかりすることや、「法則」を明文で記述することや、一次方程式で扱える程度の計算を混ぜて「定量的な扱い」が生ずる。
高校の物理に入ると法則を言語的に与えるにとどまらず、数式的に導入するほか、このような数式を単に計算に使うのではなく、新たな式を構築する「演繹操作」が入る。そのような演繹には微分や積分に相当する計算を背景に持つ操作が行われる。問題を解く時には複数の式を同時並行して使うことを求められる。
しかし、大学で学ぶほど数学が整っていないこともあり、ギャップのある演繹があり、必要以上に覚える箇所が出るなど未熟。
大学に入ると高校で始まったが未熟だった演繹操作がさらに抽象一般化されることで洗練されるり物理が現象を基本に認識されていたのが、一連の数理モデルに分離され、より身近でない現象にまで適用可能な多数の理論に触れられるようになる。
こう書き並べた時、ギャップの最大はやはり中学と高校にあると思う。
この問題に対しては、「苦しいかもしれないが、成績が悪くなっても実はわかってないからと考えずに、とにかく高校の物理をいろんな観点から詰め込んで早く気づきを得て自分を修正させろ」というのが挫折を突破するための答えになるとは思うが、誰しもできるものではないし、いつ答えが見つかるとも限らない。
おそらく、多くの人はすぐさま見せつけられる試験の成績で持ってして、自分の実力がその数値なのだと納得していくに違いない。
だがしかし、高校時代不得意を極めた科目も、その科目とは全く異なる科目を大学で学ぶ中で、高校時代に悩んでいた問題に答えを見つけたりしたこともあり、今ならあれほど苦しまずに済むだろうという感覚がある私からすると、本当に試験のスコアが真の能力を示しているとは到底思えない。
で、ふとした拍子に高校向け参考書を書く機会におそらくネットのレビューを参考にして
と
の2冊をあげたことがあったのだが、これを並列させたことに対して
「教科書も覚束ない生徒向けの本とどんな優等生にも難しさを感じさせる深い本を並べたことに絶句した」
などと言われたので、実は前者はちゃんと読んだことないので、前者を昨日手に入れたのであった。
そして、気がついたのは、この本2つの並列、あながち間違いでも無いぞ、と。
中学時代すでに物理や理科に挫折しているかもしれないが、高校で挫折する人は本当に多い。
前者の本の特徴は「物理のイメージ」である。
物理教育において「イメージ」は実は結構厄介者である。「素朴理論」などと呼ばれるものとも繋がるが、素朴な認識に基づいた「イメージ」が物理を正しく理解することを阻害するのである。
某予備校の苑田氏などは「イメージに合わない結果が出た?じゃあお前らのイメージが間違ってる!」と断言していらっしゃるが、まさにそれなのであって、イメージを捨てることが間違い無く求められる。
にもかかわらず、イメージを教える本がコレなのだ。そんな本にどんなニーズがあるのか?
実は、イメージは捨てるものだが、あったほうが気持ち的に楽な上に、何を考えればいいかがわかりやすいので、イメージはある程度欲しいのである。物理を学習する行為は自らが持った間違ったイメージを破壊すると同時に、新たに得た物理に適合したイメージを創造する行為である。
それを踏まえると、前者の参考書の役目は、創造されるべきイメージを伝えることにある。
つまるところ、小学校から中学校でイメージが不足している場合や、誤りが大きい場合に、そのイメージを与えるのが前者の本である。
一方で、ある程度イメージを持つなどしても、高校の物理は演繹の技術が拙いため、そこを洗練しない限り、なんらかの疑問は出てきても不思議ない。そのようなときには後者の本は一定の理解を与えるだろう。
思うに、物理の学習は数理モデルを理解していく点が特徴的であるから、そうした背景の数学等の演繹を理解するのが重要だし、しかし、そうした数理モデルに最適化されたイメージの部分も理解の上では欲しく、それらは両輪として機能する。
イメージと演繹の両輪それぞれを考えて、それぞれをうまい循環に載せることが大事である。もとの能力が高くても、この循環を作れなければ成績は低いだろう。ならば、2つ並べるのもあながち間違いではなかろう。
そんなこんなで高校生たちは物理を学ぶとき、イメージを再編するつもりで臨んでもらいたい。
私の感覚では、物理について最初に当該単元を学ぶ時点で7割くらいはイメージ通りだが、3割は根本的にまずく、演繹操作を通じて話が広がるとその3割が引っかかるようになる。
物理ついては県内トップ高で学年1位がデフォの私でも3割のイメージズレがあるのだから、橋元の本は上位生でも意外とちゃんと読むと少しずつ認識に違いのある箇所があっても不思議はない。
ならば「イメージを伝える本」は必ずしも低レベルに限りはしないものである。