私が参加している勉強会(当日の参加者は4名で理系3文系1、物理系は2)であった話の1つ。

 

文系の人が発言をする。

コミュニケーションにおいて革新的なアイデアを持つ人たちが散らばっているときに、それらを結びつけるコアとなる人の果たす役割に対して、「あるコアとなる人がいて、その人を中心とした磁場のようなものができて集まってくる」

というような(正確な表現は全く覚えていないため申し訳ないですが)内容であった。

 

このような表現に対して、参加していた物理系のもう一人の方が

「え、電場じゃないんですか?」

とツッコミを入れた。(編注:電気を帯びた粒子(荷電粒子)に力を作用させる、空間に広がっているもの。荷電粒子や、電極等を用いて与えることができる。)当人によると

・物質(荷電粒子)が反応して力を受けるのは電場

であり、

・磁場の発散は0

・電荷は電場に対するソースとなる

といったあたりを指摘していたかな、何れにしても、まわりの物質に作用してそれらを引きつける現象には不適切という指摘をして、このイメージにはむしろ電場が適切ではないかという指摘をしたのである。

 

この指摘が「細かすぎ」などと感じる人もいるだろうが、一応その指摘をもう少し、物理の教科書に準拠してちゃんと整理してみよう。

 

磁場が「周りの物質(例えば鉄)を引きつける」のは身近な現象としては度々観察されるが、実のところ、このような鉄がひきつけられる仕組みは一番初歩の電磁気学の議論では出てこない「厄介な」代物なのである。

 

実際、物質に対して電磁場がどのように作用するかという式は「ローレンツ力」と呼ばれる次の

F=q(E+v × B

という式で与えられるが、電荷qで磁場がBで物質の速度をvとしていて、そのクロス積を取るので、磁場に起因する力は運動方向に直角であって、磁場は物質を「引きつける」ように作用しない

 

電荷ではなく、磁場に直接引っかかる物質のパラメータがないのか!という少し頭のいい指摘をしたとしても、実は解決できない。ちょっとレベルの高い教科書(たとえばJ.D.Jacksonの教科書とか)では、物質の磁場からの影響の受けやすさを表すパラメータとして「磁気モーメント」mを与えても、実はこれに対して磁場と物質の受ける「力」は力というよりは力のモーメントであって

N=m × B

という式になることが書かれており、これまた、回転をもたらす式であって、引き寄せられることを指摘しない

 

実のところ、磁場が磁性体を引き寄せるには、磁場ないし磁気モーメントを力学的仕事の議論にし、ポテンシャルにしてから、変位で微分することで一応は得られる(教科書的説明は日本語版Jackson p.300を参照)が、最初に定義する段階では出てこない、やや変な、副産物的なものであることを示すことができる。

 

つまり、物理をある程度学んでいて、その基礎に忠実な立場からすると、クソめんどい仕掛けを通さない限り、磁場は物質を惹きつけてくるようなものではないので、周りを引きつけてくるなんて例えには不適切なように思われるのである。

 

 

ところが、磁石同士が引きつけ合う様子や、周りの物質を引きつける現象は一般人からすると幼少期から身近な現象である。

つまり、現象としては身近であるにも関わらず、学問的には初歩のレベルを超えてやや高度な問題になっているのである。

 

この件に関していうと、興味深い点はこれにとどまらない。

 

「磁場」という単語は(磁界という単語を用いる場合もあるが)中学校の理科で扱われるが、「電場」は中学理科では扱わない概念である!

 

つまり、理系で高校以上の物理を学ばない限り、正規教育で電場について扱うことはない。文系の人からすると特にだが、磁場の方が電場よりも身近なのである。これについては、電場に反応する「荷電粒子」は通常、目に見えない小さいもので、日常で現れるのは静電気のような形だが、静電気はすぐに逃げてしまい、制御上の難もある。一方、磁場については方位磁針というもので可視的であり、扱うのも容易である。

 

ということを思いながら、この事案を見ていた私としては、上記のことを(不完全ながら)思いつつ、「それツッコむか!」などと言っていたのだけれど、つっこみたくなる気持ちをある程度明確化しつつ、しかし、そのようなつっこまれるような表現が選ばれたのか、と合わせて考えていくことで敢えて一事に終わらせないことが実は大事なのではないかと思ってまとめた次第である。

 

いずれにせよ、今回の事案をみるに、比喩表現を形成するところでは、当人の現象的な認識であれ、理論的認識であれ、キーワードに対しての認識がよく問われるのである。そして、そのような認識はその個人の置かれた環境によって、実は変わってしまうということを示唆している。発言者はおそらく素朴に経験した「磁石」「磁場」といった単語のニュアンスをベースに持っていたのだろうが、それにツッコミを入れた人にしてみると、磁場は「荷電粒子を曲げるもの」という素粒子実験でどう使うかという認識こそ身近になっていて、それを基礎付ける初歩の物理学こそ身近になっていたということに見える。

 

比喩表現という例からは逸脱するが、個人の経験的認識から特定の物事に対して本質的に感じられる性質を抜き出していくのは素朴概念の形成を理解する上で重要なのではないかと思う。

今回の例であれば、「磁石が磁場を作り出し、その磁場に従って周りの磁性体が引き寄せられる」という現象に類似して比喩表現を作っていたが、この現象に対して、発言者には「磁場は磁性体を引き寄せる」という認識があった可能性が高い。もっとも、現代の物理学における認識ではそうではなく、上記に書いたように、物質を引き寄せる性質は副次的なものとするのが標準的で、その認識は「素朴物理」というべき類である。

 

そして、そのような素朴物理が表現の「比喩」に現れてきたのである。

個人的な認識として、コミュニケーションにおける「素朴概念」を形成する原因がこのようなコミュニケーションであまり明確化されない箇所に非常に多く眠っているのではないかと思っている。

私の中では、物理教育において素朴概念というものを明確化することは非常に重要な意味があって、それを学習者が認識することが学習を大きく前進させるキーの1つだと考えている。その意味で、このようなコミュニケーションの節々を掴んでは分析していく蓄積は重要な分析手法たると考えている。

 

今回の「クソリプ」とツッコミを入れた本人は自ら指摘していたが、そのような「クソリプ」のおかげで、このような構造が明確化され、仮説を立てることができたわけで、クソリプとして切り捨てるのはもったいない話なのではないか。