4/30は平成最後の日でしたが、日経のとある記事およびそれをつぶやいた日経サイエンスのアカウントのつぶやきについて、twitter上で炎上案件が発生しました。
(私がtogetterまとめを作成しました。思った以上に反響があり、嬉しく思います。)
https://togetter.com/li/1343491
炎上内容はというと...「水温20倍」というこの表現。
そして記事を読むとどうも摂氏25度から摂氏500度程度に水温が上昇した現象を指してこのような表現を用いたようなのである。
これについてまず「炎上」させた人たちの視点について掘り下げてみたい。
(i)温度は示強変数であること
(ii)温度の単位は摂氏度のほか華氏度、絶対温度がある
この2点から、「温度を●倍と記述するのは不適切である」という批判が飛びまくったようである。
示強変数は専門用語であるためコラムを設けて説明する。
示強変数の場合、足し算は意味がなく、掛け算についても示量変数の場合とは異なる意味でないと考えられない(注:全く考えられないわけではない。圧力が2倍と言われた時、その圧力を受ける面積が同じであれば、力が2倍という明確な意味を持つ。このように、掛け算に意味が必ずしもないわけではないが、意味が変化する。)。
次に(ii)である。こちらはどうかというと、
273.15Kを0℃とし、温度差1Kと温度差1℃は同じにする、というように、摂氏度は絶対温度を平行移動している。ちなみに、華氏度については温度差1°Fは温度差1℃ではないし、0°Fは0℃でも0Kでもない、原点も、間隔もことなる温度の別の単位であるが、アメリカくらいでしか使わないので華氏度は考えないことにする。
今回の事案ではtwitter上の多くのユーザーが(「絶対温度が何事においても公正公平な基準である」という仮定があるようには見える。この仮定の妥当性については他の人も批判しているが、私もやや紹介したいものがあるため、コラムで紹介する。いずれにせよ)、「絶対温度で「倍率」を議論するのが筋であって、どの温度に対しても一律に273.15引かれたような温度同士の比を取っても元の絶対温度で取った比とは異なる値を取ってしまうため意味がない」というつぶやきをした。これについても少し掘り下げてみると以下のようなことを言う。
式の形で書けば、温まる前の水温を摂氏度でt_b、温まった後の水温を摂氏度でt_aという文字を割り当てるとする。また、絶対温度はそれぞれ273.15足すという換算でできるとし、温まる前の水温を絶対温度でT_b(=t_b+273.15)、温まった後の水温を絶対温度で表すときにT_a(=t_a+273.15)という文字を割り当てると、意味がある比は
T_a/T_b=(t_a+273.15)/(t_b+273.15)≠t_a/t_b
ということを指摘している。
ここまで批判側の視点を取り上げてきた。しかし、擁護論ないし「批判への批判」というべきものもそれはそれとしてしっかりと考えるべきポイントがあるように見える。
「数字だけ見れば倍になってるしいいじゃないか」
「℃の温度で20倍っていってるんだから良くね」
これらは、解釈をすると、℃という視点にとどまった話をしており、倍率という数字に意味を持たせるような変なこだわりをしなければいいのであって、数値の計算上は正しいという主張として理解することができる。
つぎに、比を取る場合の原点の取り方に関する議論を押さえたもの例として、
「深海の温度は通常1000m以下は2〜3度。断層部分は普段でもそれに比べて25度と高いと考えれば、500度が20倍と言っても良いのではないか?」
「摂氏温度について値を比較して2倍やら20倍やら表現することについての話題が盛り上がってきたようだが、我々は標高について同じことをやっているわけでな、山の高さが2倍とかな、適切でない説明もちらほらと流れてくるなぁ。」
というものがあった。
こちらは、絶対零度ばかりが温度の基準点として妥当ではないことを示唆しているものとして理解できる。つまり、前者は基準として深海の海水温を取ることに妥当性があることを認め、その基準に対しての相対的な温度の比には意味付けが可能なのではないか、また、後者は、他の例でも本来相対的なものだが、絶対視して使ってしまっている例を指摘している。ここから読み取れることとして、相対的なものでも、一定の文脈では少なくともある点の原点の取り方が妥当であり、その文脈を逸脱しない範囲で使う分には少なくとも、このような表現をしてもいいという理解ができる。
個人的には、言語はその言語圏のあらゆる人が使っていくものであり、各種の視点から見ていきながら、ある程度批判を受け入れつつ、鵜呑みにはしないべき(実際に、批判にはだいたい穴がある)で、いろんな視点を明確化しつつ理解を深めていくことに意義があると思っているところであるが、このような議論を始めるとその方向性も含めて(ややメタな)批判的議論が飛び出す。
「日経サイエンスにタグ付けて纏めてる時点で50歩100歩。」
「日経の「温度が20倍」で上げ足取ってる人ら、いかにも陰湿理系って感じ」
といった主張は、それらとして理解できるだろうか。
まあ、日経サイエンスにタグづけて纏めたのは記事も何も読まずに熱力学における温度の定義から考えて、あとから日経がやらかしたことを見たからで、やらかした記事も見出し以外読んでないような状況でそのまままとめる雑さでやったからな訳ですね。
思った以上に反響が出てしまったのが予想外でしたが、まあ、このブログで意見表明する前に指摘されたのが幸いでした。
あとまあ、陰湿理系の指摘の件は... そう捉えられてしまう人とは仲良くするのは時期尚早なのかもしれない。コミュニケーションは双方向のものなので、受け取り拒否をされては成立しないので。
とはいえ、確かに記事がこのようなミスをしなかったとして、当該記者は自らどこまで理解したかはわからないし、批判者も他の側面についてどの程度理解しているのかはわからない。特定の見解や立場を上から押し付けたところで現場が理解することができなければ、形式的にしか採用されえない。そのような形式的なものを使わせることが却ってトラブルの原因になることは往往にしてあった。陰湿理系と括られる場合もあったが、「先生」と括られた例もあった。実際、このつぶやきに絡んだ人は物理系学科で博士号を取得している方も多数おり、一般社会から見れば、物理における専門家による批判である。「上からの押し付け」と捉えられても仕方ない側面がある。これをもまた「反知性主義」として括って上から目線で捉えるのは「上」の横柄さとも考えられる。
============コラム1示強変数について============
まず、これと対比的な性質をもつ数字として「示量変数」というものがある。例として水の質量や体積を考えるとよい。水の1リットルペットボトルを2本持ってきたとしよう。このとき、2本のペットボトルの合計の水の量は1+1=1×2=2リットルである。
このとき、最初の式1+1はそれぞれの量をそのまま足したもの、1×2というのは1リットルのそれがいくつあるか、という掛け算である(注:かけ順問題を正確にきにする人の場合、2×1なら正解で、逆なので間違いなのかな?そこは気にしないで)。
どちらにせよ、「足し算」や「掛け算」によって、隣接するものを束にしてまとめた「全体」を考える意味があるものが「示量変数」である。
一方、温度や圧力については足し算に意味があるだろうか?少なくとも、1リットルペットボトル2本用意して各々の温度を測ったとしても、それを足した数字には意味はないだろう。20℃の水と20℃の水を一つにまとめたら40℃になるというなら、水をまとめるだけでお湯ができるというなんとも恐怖な世界である。このように、測定した各々に意味はあっても、足し算に意味はないものを「示強変数」という。
============コラム2温度の目盛の作り方と比の取り方============
ところでこの指摘をみると個人的に思ったのは、「絶対温度ならば比を取ってもいいのか」ということが気になった。
温度の定義を明確に答え、その定義からどのような(理想条件があってもいいので)実験から温度を再現できるかを答えられる人は多くはないだろう。
多くの人が温度計を知っているだろうが、学校で使うようなアルコール温度計や、かつて使われていた水銀温度計のような種類の温度計の原理は物質が温度が上がるほど体積が膨張するため、その膨張の具合を見て体積の測定を通じて温度を測るものである。
もしこのやりかたが温度の性質を考える上で本質的だとすると、我々は温度を定義するときに、例えば次のようなやり方をするだろう。
「0度の時体積V, 物質量Nの物質が、体積δ膨張するごとに温度が1度上がるように温度間隔を定める」
つまり、そのような体積膨張で温度間隔を定義してしまう。
ところが、そのように見えるとどんな物質も体積膨張率は温度によって変化し定数ではないし、しかもそれは物質によってその挙動が異なる。
身近な物質である「水」はその典型的な「変な」例で、0℃から4℃の狭い間ではあるが、温めるほど縮むという性質を持っている。しかし、通常の物質でも、さすがに縮みこそしないが、温度によっては膨張が急であったり緩やかであったりするし、それは物質依存なのである。
それゆえ物質の膨張を用いて定義した場合、特定の物質を選ばないと温度を決められない。逆に言えば、物質の膨張による方法であれば、「物質の種類だけ」温度の決め方が存在してしまい、それぞれみな少しずつ互いが互いに異なる。
実のところ、温度の定義はこれからどれか一つを選ぶという形でも良い。
良いのだが、結果的には理想気体という、仮想上の気体を(論理的に仮定を置いて計算して得られる結論を)選んだのが熱力学という分野を作った先人たちの結論だった[1]。とはいえ、そうではなく、別の物質を選ぶ選択もあったわけで、そうすると(水のような変な物質を選ばなければ)、今の温度と数字は一対一で対応し、順序関係もそのまま(単調増加)だが、場所ごとに間隔が広かったり狭かったり、「歪んだ」温度計になる。
「倍」という概念は、上で紹介した例のように同一のものを繰り返し用意し、足していく操作には使えるが、歪んでしまうと困る。理想気体という仮想上のものを使うなどしなければ、絶対温度でさえ、倍という表現を意味付け困難ということができる。
[1]山本義隆 「熱学思想の史的展開」