2018年という年は私にとって本当に大きな一年となった。
その上でお茶がキーになった。2018年は最初から最後までお茶が主役だったかもしれない。お茶の縁で付き合いが広がった。
さて、そんなこんなの縁で繋がった人たちと「紅茶は敷居が高い」という話をする。実際日本の今の紅茶の会はなんとなく敷居が高いといえば高い気がするが、なぜなのか?
全部ではないが、1つとして、いかに多くの道具や茶葉などへの「投資」をし、それを惜しまぬか?というタイプの価値観を持つ人が多いこと。次に、そうした投資と似ているが、いかに技術や知識を磨く必要があるか?という価値観を持ちやすいことだろう。
正直いえば私も昨年よりも前にはそういう考えがあった。しかし、重要なところが間違っていると気づいた。
昨年の一年を振り返れば、お茶を愉しむに「必要な」ものはと言われるとほとんど何もない気がする。極端な話、お茶がなくても、お茶の話をしていれば、「お茶を愉しむ」ことができるかもしれない。強いて言えば、お茶と触れたいその気持ちだけ、だろうか。
つまり、ほぼ全てのモノも技術や知識も「必要」ではないのである。
それゆえ、全ては、あると選択肢を増やしたり、新たな何かを得られるかもしれない、というところである。
その前提のもとで、(私は抹茶は知らないし、お茶というと茶葉に熱湯を注いで抽出するお茶か、せいぜいその派生として位置付けられるお茶にしか知識はないのだが、)熱湯でお茶を抽出する時のポイントを要点から順に説明する本を一緒に書きたいという話が来た。
というわけでその冒頭に書くかもしれない言葉をなんとなく書いてみたのがこの記事である。
お茶を愉しむにあたり
(1)絶対的に必要なもの
:お茶と触れたい気持ち
これは冒頭に書いたとおりである。以降は徐々に必要度合いを下げて説明をしていく。「絶対的に」という言葉は本当は必要ないかもしれないが、次と区別するために設けた。
(2)ほぼ必要なもの
:お茶とお茶を飲むために使う容器
:お茶を飲む最低限の時間と場所
さすがにこれらがないと実物のお茶を愉しむことができないので、「必要」という表現を割り当ててもよいだろう。ペットボトル茶を飲む、でも極端な話いい。
ただ、実際にはペットボトル茶で満足できない人は多くいるし、そうでもなければ知識を求めたりはしない。実際、お茶趣味の人は古典的なお茶会や古典的なお茶の抽出に投資してしまうのが大抵で、それはその方が楽しいと思える暗黙の了解みたいなものがあるからだろう。そこで、そのような古典的な、「自らお茶を抽出し、そのお茶を愉しむ」ことを柱として、次の段階を書くと
(3)あることを是非推奨するもの
:茶葉、水
:水を加熱、沸騰させられる器具
:耐熱性のある、飲み物を飲むための容器(茶碗、ティーカップなどなんでもよい)
お茶を抽出する際、「水出し」という方法もあるため、その意味で後者の加熱器具や耐熱性のある容器は茶葉や水に比べればやや必要度に劣るが、お茶の抽出はお湯だしが基本であり、そうなると、基本を押さえることを大事とするために、お湯を扱う器具が欲しくなる。
これより先、ここまでに書いた最低限の道具と必要に応じて追加するわずかなものから、お茶を美味しくする工夫や、茶葉の選び方といった、実践的な問題に触れてお茶生活をサポートする話をする。
しかし、忘れてはならないこととして、多くの茶器やら、茶葉や、技術はこれよりもさらに下の纏まりで「あるとお茶を愉しみやすくなるかもしれない何か」であることだ。ここまでのことを忘れず、その上での知識や道具を身につけてもらいたい。