発光ダイオード(LED)は非常によく使われるようになってきた。
小学校から中学校の教育課程でも発光ダイオードを使う機会が一方的に増えているようにも聞く。
が、正直なところ、私は発光ダイオードという代物、教育課程で扱うべき代物ではないような気がしてならない。
それには2、3の理由があるのだけれども、まずとりあえず、回路素子としての性質が変というか、おそらく中学理科を素直に「わかった」と思ってきたような、従順な優等生に挫折感を与えかねないこの素子の性質を紹介したい。
超簡単に言ってしまうと「オームの法則が成り立たない」、「オームの法則との違いが特に大きな素子」の一つという点だろうか。まあ、それはモーターに比べればマシかもしれないけど...でもモーターは小学校でしか出てこないし...?
オームの法則を振り返ると、
素子の両端の電位差は、流れる電流に比例し、その比例定数を抵抗と呼ぶ
といった体のものである。
とりあえず下のような回路を考えてみる。
(注:後ろに述べる理由により、この回路は本当に組んではいけない)
もしダイオードがオームの法則を満たしているなら、電圧Vと電流Iの間には下図のような関係が現れるはず。
しかし、ダイオードは違うのだ。現実のダイオードは超大雑把に書くと次のような感じになる。
電圧があるところに達するまでは全くといっていいほど電流が流れないのだが、
途端に電流値が跳ね上がる。どういうことか?
ある電圧以下の電圧では電流を流すことができない、スイッチが切れたような状態だとおもえばいい。
それが、ある電圧に達すると、「途端にスイッチが入ってしまう」という状況に近い(完全にそうではない)。
ただ、この説明だけでは回路としてどう考えればいいのかまでは理解できないと思うので、回路素子として扱う上での性質を説明したい。中学の理科の、電圧の性質や電流の性質だけでわかるように努力だけしてみる。
直列に抵抗と追加した次の回路を考えよう。
中学理科でどのように教わるかはわからないが、合成抵抗の法則を導く時に、電圧については
滝が途中まで落ちて、そこからまた落ちる
という例えを使っているはずで、ダイオードを使った場合でも例に漏れず、電圧は途中まで落ちては、途中からまた落ちる、という考え方を使えばいい。
ということは、抵抗Rで、オームの法則に従って、RIの分だけ落ちて、そのあと、ダイオードでまた落ちる。
ではどんだけ?
答えを言うと、抵抗で落ちた分と、ダイオードで落ちた分がそっくりそのまま電源のVになるので、その条件を満たすように落ちる。
さっきのダイオードの電圧と電流のグラフを見よう。ここでいう電圧というのは、今回の絵では、電源の電圧ではなく、ダイオードで落ちる分の「滝の高さ」である。そして、電流が0の時を除いて、一定の電圧(通常、順方向電圧と呼ぶ)なので、
落ちる高さは電流によらず順方向電圧
ということになる。順方向電圧をWと書くことにしよう。そして今電源の電圧は大きく、電流はゼロではないとする。この時、上図の回路を流れている電流はいくらなのか?
これは電圧の足したものが電源電圧に等しいことと、抵抗についてのオームの法則を使えば求められる。
抵抗で落ちる分の電圧:RI
ダイオードで落ちる分の電圧:W
電源の電圧:V
として
V=RI+W
なので、I=(V-W)÷Rということになる。
え?ダイオードは電流をいじらないの?とか思ってしまう。私は言葉にしたらそんな感じの疑問を思った。
yes。正確に言えば、抵抗にかかる電圧を下げるので、その形で電流を変化させる。自らに「抵抗」のような概念はない。(より正確にいうと実際には抵抗はなくはない。しかし、ないものと思って基本的知識をつけておいたほうがいい。)
自由研究として「LEDの抵抗を測る」ということを考える小学生や中学生もいるだろう。
だが、それは図のように抵抗を挟むか、さもなくば電流制御の優れた電源装置を持っている
ような事例を除いては注意が必要である。
もし、電池を直列につなぐ個数を変えることで実験しようなどと思っているなら言語道断である。すぐにLEDがタマ切れしかねない。
そして、明るさと「抵抗」の関係を見るというのはアリなのだが、実は科学的知識からみるとセンスがよくない。つまり、W÷Iを計算するのは無意味とは言わないが、筋がいいのはむしろW×I、つまり、ワットの法則で導かれる電力の方だ。
とはいっても、子供たちの自由研究を「邪魔」してはいけないだろう。