養蚕業の歴史を見ると温度計が重要な役割をしていたらしいことがわかる。これについては福島県梁川の養蚕を調べたり、東京農工大の博物館展示でわかる。
日本において温度計を養蚕に取り入れたのは、福島県梁川の中村善右衛門という人で、医者が使う温度計にヒントを得て養蚕用に温度計を開発したらしい。
この温度計の温度の単位は「華氏度」とされている。実際、歴史的経緯を考えても当時の温度計が華氏度を採用しているのは不自然ではない。
のではあるが、ここで疑問が湧く。
どのようにして華氏度に較正したか。
当時とて、おそらく統一的な較正方法があったと思われるものの、その較正方法を中村も採用できていたのだろうか?
蘭学の書物を読み解けば温度計の目盛りの較正の仕方は載っていたのかもしれない。
しかし、江戸末期の福島の梁川で果たして温度計の目盛りの較正を扱う書物なんてあったのか?
もしそのような定義がままならないならば、実物として入手できた温度計の値を参照して、それに合うように較正したのではないか?あるいは、何か別のそれらしい較正方法を開発したのではないか?
中村が温度計を養蚕に取り入れるにあたって、温度計を改良したというが、その段階で較正手段を変更していたとすると、当時の主流の華氏度とはいくらか異なる値になるものを作っていたかもしれない。
また、養蚕業で温度計はしばらくはあまり普及しなかったようだが、明治に入るとの養蚕業には温度計は広く普及している。
ところでこの時の温度計は中村式のものなのか、それとも鎖国を解いているのでヨーロッパ式のものなのか?という疑問が湧く。
というのも、温度計一般はともかく、体温計については、第一次大戦頃まで基本的には輸入頼みという資料がある。(テルモのwebページ等の記述なので、一次的な資料ではないが。)
ところでもしここでヨーロッパ式のものを使っているならば、中村式のそれとどの程度一致を見たのか?が気になる。
もし中村がたった一台の温度計を参照したり、別の較正方法を開発していた場合、中村式のものはヨーロッパ式のものと系統的なズレが生じていた可能性もありうる。
いうなれば、華氏度ではなく、「中村流華氏度」になっていたかもしれない。
中村が温度計を用いて温度管理して養蚕をするのが良いことを自らの著書に記述している。当然それは彼の開発した温度計での数値が記されているはずである。
果たして中村が温度計の単位の較正や、精度の面でどこまでのレベルを達成できたのか?
それを知ることのできる資料がなかなかない。中村の書いた本を読む必要があるのか?