twitterで「足立区の天才物理学者」を名乗るおじいさんがいる。

私が「総長」をしているサークル「文京科学大学」で昨年度に五月祭に出展したときに、このおじいさんの、真っ当な感覚を持っていれば「トンデモ」といえる説は「科学」と言えるのか、という問題提起をしたわけだが、このおじいさんは非常に興味深い示唆をしてくれている感じがしてならないものである。

 

正直なところ迷惑千万でしかないのだが、しかし、迷惑千万な中にどうしてこれほど示唆に富むのだろうかと唸らざるを得ないところがあるのである。

 

このおじいさんの説は単純明快である。

「重力なんて存在しない。すべてアルキメデスの原理に帰着する、【熱学的大統一理論】によって説明できる」

 

現代物理の立場から言えば、アルキメデスの原理は重力によって説明されるものである。したがって、実際のところ「本末転倒」という状態にある。

 

というだけでトンデモというのは早かろうという立場もあろう。すなわち、数学・論理学の立場からして、逆向きの議論が可能な可能性もまああるわけで。そこを私の頭で考える限り「重力」と呼ばれるものに相当する結果を導いてだからなんだ?っていうことになってしまうのだが。

 

 

しかしまあ、このおじいさん、大事な視点をどこから取ってきたのか、自力で思いついたのか、全然知らないけれども、

「ニュートンがリンゴが落ちるのは重力で地球が引っ張るせいだ、といった。俺がリンゴを割って中身見ても、なにも、地球が引っ張るひもも、それに代わる仕掛けも、なんにもないんだよ」

というような示唆をしているし、これ自体は物理学者は近接作用論という立場で似たような問いかけを扱っている。

 

近接作用論というのは、大雑把に言えば、直接的に離れた点からの影響を受けることはないという立場である。重力の場合、重力相互作用をする物体間の距離が離れていることがある。どうして離れているところに力が伝わるのか?

 

このおじいさんの答えはおそらく、アルキメデスの原理による「浮力」であれば、接触している「空気」が押してくれるわけだから、そんな仕掛けがなくても「近接作用的に」説明ができるということだろう。(流体力学を認めると、そうだとして外力がないとこの浮力の大きさ、向きに説明をどうつけるの?となりかねないのだが、流体力学などという、非常に多くの仮定をのっけて構築してきた技法に対してこのおじいさんは超がつくほど基礎的部分からひっくり返すので、仮に流体力学が結果としてうまくいっていようと、この形で反論として使うにはいくらか無理が出てしまう。さらにこのおじいさんに言わせれば、いろんな結果でうまくいっていようと田村理論と不整合なら不整合なところを整合的に組み直すのはお前たちの仕事だ、ともとれる発言をしているので、流体力学で批判するのはおそらく不可能...)

 

物理学での答えは一般相対論という形でその部分については得られている。つまり、よく一般向けでは「空間の歪み」と表現されるわけだけれども、物質周りの「計量」とよばれる量が物体の動きに直接関わるものになっていて、これは物質に近接しているけれども、計量と呼ばれる量はそれ自体が周りの点の計量と影響しあって、さも弾性体みたく、遠いところへと伝わる性質があり、そうした伝わるものが「重力波」なのである、という言い方をする。

 

ところがこれを「量子化できない」ことなど、問題が残っている。

 

というのが標準的な物理の認識だとおもっているが、おじいさんに言わせるとこの説明は納得がいかないようで(まあ、空間が歪むってなんだよ、って感じはあるわな)、こんなおかしな話じゃなくて、俺ので正しいんだよとまあ言ってくるわけだ。

 

このおじいさんに言わせると「数式とか書いて、ただ計算できりゃあいいとかいうもんではない。数式なんか使っちゃいかん」と明言していたかはともかく、しかしニュートン力学含めて近現代物理の話をまるっきり理解している感じもなければ、そもそも、近現代以降の、数学を土台にした物理理論を構築する技法をも否定している感じを覚えるものである。

 

さて、科学の既存の方法を否定するのは科学の新発見においてよく起こる現象である。

通常は、部分的に否定して改変し、過去の結果と整合的に、しかし論理構成だけ変えてしまうということをやってのけるが、このおじいさんのやりかたはそれをド派手に「数学を使うべきではなく」と主張しているようにも見える。確かに合理的には全く思えないが、しかしながら、そのように方法を変えることをもって「お前は科学的ではない」というのは果たして可能なのだろうか?

 

いやいや「反証可能性がないからダメだ」という批判が飛んできそうである。

しかし、である。

このおじいさんの場合、通常の論理学を認めていない可能性さえある。話にまるっきり筋が見えてこない。ややもすれば矛盾して聞こえる話もある。

 

すると、である。通常の論理学の構造をも認めない、彼の「論理学」が存在する可能性がある。

となると、考えようによっては反証可能性という観点を導入するにも彼の論理学に基づいた反証可能性を議論する必要があり、そうなると私には全くわからないけれども、それだけの労力を惜しまずに彼の考えをしっかりとつかむことができると「反証可能な」理論になっているかもしれない(そういう可能性を否定することもままならない以上は。)

 

とにもかくにもこのおじいさんは本当に色々とぶっ壊しまくっているので、彼の説は科学たりうるか?という疑問に対して、なかなか科学ではない、と言えなくなってしまっている。

 

彼に曰く、現代の物理学は「末期ガン状態」なのだそうだ。

それくらい、根底から全部おかしく、それを自分の「理論」でひっくり返せといってくる。

しかしそれが読み解け無さすぎる代物なのである。まあ、中世以降の近現代の物理学を一切使ってくれないのでしかたないのだが。

 

どうにもこうにも、こんな「トンデモ」が、いや、これほどまでに卓越したトンデモゆえに、逆に、科学ではないトンデモだということすらできなくなってしまっている。

 

ここまでくるともはや...

 

科学哲学に「科学とは?」「科学的とは?」という問題を突きつけているようにさえ見える。

 

このおじいさんは、いったい、なにものなんだ...