産業革命の誤変換ではない。正確にはダブルミーニングを狙っていて、「蚕業革命」なる単語があるのかは知らないが、それを意図している。

 
蚕業、すなわち絹糸あるいはその原料たる蚕の繭の生産の話。
 
蚕の繭から絹糸を作るというのは中国の古代文明からある技術のようで、それが長い期間の間にその技術は日本にも伝わって、奈良時代には税として納める類のものの1つになっていたりするのだが、日本において絹の生産はこののち下火になるようで、江戸時代までにはかなり小規模で質も悪い状況になっていたようである。
 
しかし、明治日本の主要輸出品のトップに躍り出るのが生糸である。さらに戦前世界最大の絹糸の生産国になる。
 
これは蚕業革命と呼んでもいいのではないか。というわけで蚕業革命の話。
 
産業革命は機械化による生産性の向上のイメージが強い。実際、日本でも富岡製糸場のような機械工場が重大な役割を担ったが、今回目をつけたいのはそちらではなくて、原料生産の段階である。つまり、蚕の繭の生産工程である。
 
蚕の繭の生産は蚕という生物の飼育であり、これは農業部門の話になる。蚕は餌となる桑の葉を食べて、あるところまで成長すると繭を作る。この繭こそがこの産業で生産するモノになる。
 
産業革命のキーはやはり生産性向上だろう。どうしたら生産性が上がるか?
 
生物なので環境が良ければうまく育つし、悪ければ育たない。うまく育たなければ育てるために投入したコストは回収できない。
 
生産性を上げるにはまずは環境を整えなくてはならない。
 
また、蚕は春になると卵が孵ってうまくやれば育つわけだが、育つのに何年もかかるようなものでもなくて、ただこの周期に沿っているといわゆる「農閑期」が長い作物になる。
 
群馬県の世界遺産の物件を回るとわかるのは、確実に育て上げること、育つ期間を(自然な範囲で)最短化すること、農閑期を減らすことの三点が生産性向上のキーだったことを見る。
 
農業で確実に育てることを妨げるのは生物である以上広い意味で病気だろう。ここで広い意味といったのはよくイメージされる「伝染病」に限らず、栄養失調であったり特定の栄養の不足で現れる身体症状なども、知識がなければ「病気」なのか区別できないはずで、そのような、身体的不調の、生物版のそれを含めたいからである。
 
広い意味での病気を避けるには与える餌や衛生環境等に幅広く注意する必要があるわけで、群馬県の例では世界遺産田島弥平旧宅やその関連で紹介される育成法の工夫(清涼育と案内される)はどうも案内で聞く限りはこのような衛生面や栄養面での問題を改善する効果があったようである。
 
病気は避けられても環境の最適化という点で観るとまだ不十分だったようで、特に寒冷な蚕業地帯だった福島県の梁川周辺で江戸時代終わり頃に発明、発達した「温暖育」の考え方はこの意味で効果があったように見て取れる。温暖育とは火を用いて蚕室を暖めるというもので、過去において福島県の当該地域で寒冷対策として試したところうまくやれれば効果的だったこの技術は群馬県では「輸入された」技術ということになる。
 
輸入ではあったが相当に普及したようである。というのも、世界遺産に登録されていない遺産をも合わせて見て、蚕を飼う蚕室の展示には軒並み「温度計」がある。
 
伊達地方では「養蚕に科学的手法を取り入れた」という扱いをされている。
ここで「科学的」という発想の要素については幾らか議論の余地があるとおもわれる。
しかし、いずれにせよ、群馬県では高山社は温暖育の発想を取り入れた形の技術を確立し、成功させて、教育した役割が評価されている。
 
最後に農閑期を減らすことについては繭が出荷される度に蚕の卵が孵ることで農閑期を埋めるという発想で実現された。具体的には風穴と呼ばれる冷風が出てくる場所に置くことで孵る時期をズラすという工夫が取られた。
 
科学および技術の発達によって生産性が向上されるというのがこの歴史から見て取れる。