受験で選ぶ大学の1つの基準として、単科大学か総合大学か、の他にも、キャンパスが集約された大学か蛸足大学か、という考え方があるように思う。

大学のキャンパスは設立のときに決まるとなかなかそのあと変わらないものである。

蛸足大学とは、大学のキャンパスが各地に分散している大学のことである。

1.蛸足大学の例
たとえば信州大学は

という配置を
また、兵庫県立大学は

などと凄い分散状態なのである。

2.蛸足大学の一般的特徴
蛸足大学はあまりいい見方はされていない。というのも学生や教員の交流を妨げるなど、単に看板だけ同じ別の組織という形になるからだ。

しかし、かといって、蛸足大学の解消は一部で進められてはいるものの、なかなか進んではいない。

蛸足大学の経緯は大概、組織の統合である。異なる経緯で生まれた別の教育機関をなんらかの理由で看板をとりかえ、組織を統合することで、キャンパスの乱立に至る。

そして、日本の多くの大学は戦後改革で戦前の専門学校、高校を統合したものや、それに帝国大学が絡んだものや、戦後の創立でも兵庫県立大学のように単科大学の統合によるものなど、統合が経緯にある大学が多く、その場合、蛸足大学になりがちである。

東京大学も戦前の
・東京帝国大学
・第一高等学校
・東京高等学校
の統合があり、それぞれの校地が
本郷、駒場、中野
にあたり、中野はそれほどでもないが、現在の東大の主要なキャンパスになっている。

3.蛸足維持か蛸足解消か
蛸足大学として分散した校地の統合は非常に高いコストを要する。しかし、分散したまま運営するのも非効率がある。
ある種のジレンマを抱えながら運営されている感じがあるが、ジレンマの存在は結局、蛸足大学に対する捉え方まで変えている雰囲気がある。つまり、
・蛸足大学は悪い。解消のためキャンパス新設
・蛸足大学は悪い。解消のためキャンパス集約
・蛸足でよい。デメリット部分の解消のため工夫する。
・蛸足は多様性。本質的であり、現状維持

あたりの態度が多いように思う。
蛸足解消のための集約は大概不満が出る。
たとえば東京教育大学→筑波大学の事例では大規模な大学紛争に至っているほか、東大においても関連研究所を主に集約する方向で進められている柏キャンパスの整備は表立ってはいないが不満も多く聞く。

蛸足大学の弊害は、小規模キャンパスが互いに交通の便が悪い、非常に離れた形で分散しているときに出てくることが多い。

それほどでもない場合には一箇所へ集約をしないケースもある。大阪大学は吹田、豊中、箕面の大阪北部の三ヶ所にあるキャンパスに集約した。

集約のコストとそれを払う当事者の数、期間は殊の外大きなものであるが、大学では違う学部や違う専門の授業を受けるべきだと考えている私からすると集約するべきだと思うし、そのような集約は小さなキャンパスに集約して、筑波大学や九州大学のような巨大キャンパスにするのはあまり望ましくないと思う。

4.受験生へ
何が勉強できるか、どんな学生生活を送れるのかという観点でみると蛸足かそうでないかは1つ着眼点になる。
複数の大学がある一定規模の都市にキャンパスを持つ蛸足大学の場合には大学内よりは他大の人と交流するほうがサークル活動ではあるかもしれない。

偏差値という数値と、帝大ブランドみたいな馬鹿げた基準で受験した過去の私みたいなことはできれば避けてほしいものである。