大名時計博物館なる博物館が谷中にある。
大学からほど近いところにあったので学部時代に行こうと思いつつ行けなかったところで、一昨日ようやく行けた。
大名時計というジャンルの時計を専門にしているだけあって多少前知識がないと難しいイメージを持ったのでそれを補足しておきます。
まず、大名時計というのは江戸時代の、時計がまだ庶民が持ったり、あっても全ての部屋におけるほどのものでなかった頃に、大名が使っていた、時計のことである。
当時の「刻」はこれまたどのような経緯かは知らないが、やはり農作業等、自然と馴染んだ生活において便利だったのだろうか、
「日の出から日の入りまで」を6等分
「日の入りから日の出まで」を6等分
という時間だった。(不定時法)
現代人からすると違和感があるはずで、夏冬で昼夜の長さは違うじゃないか!と思うはずだ。
大名時計のメカニカルな部分は基本的にはヨーロッパ由来のようで、織田信長、豊臣秀吉の時代に南蛮貿易としてポルトガルあたりと貿易していた頃までに伝わっていたようだが、時計マニアなら知る人は知っている棒テンプ式時計である。
本当は画像で紹介したいができないので文で紹介するが、棒テンプというのは、振り子時計の振り子が横に触れていると思うとそれに近い。
バランスを取るために重りが一個ではなく二個あって、揺れる振動の速さをを重りを中心に近づけたり遠ざけることで調整できる。
振り子時計の針の動く速さは振り子の速さで調整されるが、棒テンプ式の場合も棒テンプの速さで調整される。
海外の棒テンプ式機械時計は現代的な時間の数え方に近いヨーロッパの時間に合わせて作られているので、当然そのまま使っているとダメなのだが、動きの速さが調整できると書いたことを思い出せば、昼夜で重りの場所を調整すれば一応使えることもわかるだろう。
どうも、初期の大名時計は時計係が、いちいち重りを半日に一回動かしていたようだが、それでは面倒。日本人は当時から改良はプロい。
棒テンプを2つとりつけ、所定の時刻になると昼モードと夜モードが切り替わる機構を取り付けた。
しかし、一度そのような改良がなされればあとは安定した技術となって装飾重視になったようである。
私のような芸術に疎い人間だとメカニカルな方に興味を持つのだが、見た感じ金属の歯車があって、現代のそれと似通うものが、しかし、文字盤はそのメカニカルな中とは違っていかにも日本を感じさせる、漢字で時刻が書かれているという面白いものであった。