小学校一年生で習う算数の「1+1=2」を「1たす1は2」と呼んで教育しているし、実際のところ、初等教育としてこれが非常にしっくりくるものなはずだが、私の感想としてはこれが早ければ中学受験、遅くとも高校までには害をもたらすものだとおもっている。
ということについて少し丁寧に見てみようと思う。数学において=の記号の特徴的なポイントは「向きがない」ことである。すなわち、
1+1=2と2=1+1
は同じものであるし、もっというと、2という数字を見たときに、それを1+1と書き換えても全く問題がないのである。
小学校の算数の練習問題で
2+3=
9+9=
4+1=
などと出てきたときにおそらく正解は唯一もしくはそうでなくても実際上ほとんどの正解者が
2+3=5
9+9=18
4+1=5
と答えるだろう。しかし、数学の問題上は
2+3=4+1
9+9=10+8
4+1=5+0
などと答えても何一つ間違っていない。これも一つの正解例である。
なぜそんなことが許されるのか?と思う人もいるかもしれない。それについて説明していこうと思う。
実は小学校で習う読み方は「便宜上」のものであって、ツッコミを入れると甚だ間違っている。
まず、=という記号の左側と右側の関係は大概の数学が集合論で定義されているので集合という概念を使うと便利なのだが、イコールの意味は「左側と右側は同じ集合の同じ要素である」ということになる。
もちろん、その「同じ」を何で特徴付けるのかという問題があるにはあるのだが、それについても大概
「あらゆるその集合に対して与えられた演算に対して同一の結果を返す」
というような形で議論されるもので、同じという言葉から逃げられない印象はあるものの、いずれにせよ最終的なところで「特に差異がない」と言い換えれば済む話だろう。
特に差異がないというのは怖い。
例えば、2+3と4+1、全く書き方も違うし、意味も違う。「2と3に対して足すという操作をする」のと、「4と1に対して足すという操作をする」日本語で書き下しても式で書いても明確に違う記号を使っている箇所がある段階で意味が違うのである。その意味で「差異はある」のであって、イコールで結びつけるのは不適格に見える。
ではなぜこれら二つをイコールで結びつけられるのだろうか?
先の定義に戻ると
左側と右側は同じ集合の同じ要素
であった。これをさらに明確化する意味で日本の小学校教育の例は便利で
2+3=5
を見ると、左側は2と3という二つの整数に+という演算記号がある。記号だけ見ると左側は
2に3を足す操作
に読めるが、足すという操作は日本の小学校教育で習うような、特定の整数一つを導く操作である。
数学でのイコールは「集合の元として」であって「操作として」ではないのである。
2+3
という記号を見たらそれは
2に3を足す操作の結果得られる整数
という意味なのである。
すなわち、
1+1=2
の真に正しい意味は
「1たす1、つまり1に1を加える操作の結果得られる整数と2は整数の同一元である」
とでもいうことになる。
イコール記号は一方通行ではなく、計算上便利な方へ式を書き換える操作であることを明確に教えないと、空気を読んで一方通行だと思ってしまう小学生は少なくないと思う。私はそうだったのでイコールという記号を使うたびに演算記号を減らす方向で処理を頑張る癖をつけてしまっていたのだが、これは今思うと中学高校と数学で苦しむ一つの元凶だったように思う。
このような壁に当たる人は少数かもしれない。しかし、類似の誤解はこの世の中に掃いて捨てるほどある。
そしてそれを忘れてついには言葉で表現できなくなるのである。
否、大人はそれを適当にごまかすのである。誤魔化すだけで真にわかっていないところで苦し紛れに「今はまだわからない」と平気で言い出すことさえあるように見える。
確かに教育上後回しにしなくては難しいことも少なからずあるが、それをどう今知りたい子供たちに向かって表明するというのか。
良き大人への道はあまりにも遠く感じて絶望だけが募るものである。