星の数ほど電磁気学の教科書など存在する中でこれをレビューする気は起きない。
ただ、それでも触れたことのある教科書を一通りさらってみようと思うと
あたりの名著がさらっとではあるが触れたことのある本だろうか。
電磁気の教科書の論理の構築は基本的には
(1)ベクトル場として電磁場E,Bを定義し、物体にかかる力と対応させる公理(ローレンツ力)をもって物理的な内容を与える
※もっとも、のちに座標変換に対する性質は一般のベクトルとは異なることが示される。
(2)その与えた電磁場に対する基本的性質を公理的に(根拠として実験法則を利用することが多いが単に公理的に与えることも含めて)要請する
(3)(1)および(2)で付与した公理に基づいて現象に適用して問題を解く。
というステップをたどるし、まあ、大方理論物理というものはこういう構成なのだが、公理の置き方や考え方は人によってかなり違うところがある。
たとえば砂川の理論電磁気学は(2)で割と早い段階でマクスウェル方程式を完成させてしまって(3)に移行する体系を取り、ジャクソンでは通常のマクスウェル方程式の記述で使われる「微分形」と呼ばれる形(時空の各点に対する方程式で「局所的な」議論と言われる)を早く整備しておきながら、マクスウェル方程式を不完全なままにしておいて、新しい項を付与してはそれが非ゼロの時はこういう問題が起こるのだ、などという形で議論を膨らませていく形を取っているし、ランダウ場の古典論では(1)の「力と対応」という段階でもラグランジュ形式で公理を取っている。
もっと多くの入門書では「積分形」という方法を最初に導入して議論する。
これはつまるところ、実験的に得やすい記述に出来る限り近づけて起きたいというニュアンスを感じる。
積分形と微分形の対応は自明かどうかは何を自明とするかをよくよく考えてみるとわからないところはあるが、ともかくも現代の電磁気学の教科書ではマクスウェル方程式は通常微分形と呼ばれるそれによって特徴付けられる。
しかしだが、われわれはランダウの教科書で見るようにポテンシャルと呼ばれる関数でこの場を議論した方が都合がいいことをこれまでの物理学で見てきている。すなわち、現代物理はそもそもが「ラグランジアン当てゲーム」と言っても過言ではないところがあるのだが、そのラグランジアン当ての手法として「U(1)ゲージ対称性を有する」という意味不だが数学を知っていれば文字数10文字程度でほぼ一義的に意味の決まるこれによって推測されるラグランジアンから自然と電磁場の方程式を得られることを実は知っている。これについてはたとえば Weinbergの Quantum Theory of Fieldsあたりをみればいいわけだが。
このような、ゲージ対称性からラグランジアンを推定し、という技法は一般相対論以降では非常に標準的な発想で、(なぜか)上手くいき続けている手法である。
ここまで
・微分形マクスウェル方程式
・積分形マクスウェル方程式
・U(1)ゲージ対称なラグランジアン
の3パターンの電磁気学の理論を構築する手法を見てきた。
場の量子論による議論は電磁的現象をある意味で非常にスマートに見渡すツールになっているが、残念な性質もある。
というのも、場が持つ自由度は莫大すぎることが挙げられる。つまり、連続濃度の集合の各点に対して連続濃度の自由度を割り当てるような構成になっているが、ほとんどその大きな自由度は死んでいる。つまるところ、使う情報はそのうちのごく一部であって、求める情報を収容するには大きすぎるし、現にゲージ対称性の分は自由度が死んでいなくてはいけないというのがこの手の議論で出てくる話である。
となると適した表現はもっと他にあるのではないか、という疑念も出てくる。
熱力学であればLieb,Yngvasonによる論文で指摘されているようなある種の代数を構築してあげるとそこから表現としてエントロピー表現を得て、熱力学が自然に構築できるというものがあったのだが、ゲージ場、電磁気学に対するそれはどうなっているのだろうか、そして、場の理論の見通しを改善するすべはないのだろうか。
そのような熱力学の代数の議論では「操作的公理」を考えていた。
電磁気も再び操作に基づいて公理を考え直すべき時なのかもしれない。