長さ、時間、質量...
というものは独立した概念なのか...
普通に考えたら、独立だが、知識を増やし、実験を増やした結果は、独立したものではなく、何らかの法則で結びついていることがわかる。
そして自然法則には光速度とプランク定数が本質的に絡んでいることがわかる。
例えば、相対運動している別の座標に移る時に不変的な量がある。
世界線距離と呼ばれるが、時間の差をdt、空間距離をdlとして
ds^2=(cdt)^2-(dl)^2
を定数とするような変換になっている。
これは相対論を理論に含める本質である。
なんでcという定数が掛かるのか。
否、それはつまるところ、tのスケールの悪さなのではないか、ということがいえるのではないか。
あるいは、プランク定数h(hbarをそのまま書けないのでhで代用する)に対して、無限小平行移動生成子は定義されると
-i/h*p
として平行移動生成子になっているのだが、pが通常の意味での運動量で、やはりhを1に変えたスケールが取れないか、ということになる。
こちらは量子論の本質になる。
c=h=1
これが理論としては最もきれいなのである。
ざっくり言えば、それが量子論と相対論の混合の結果である。
しかし、その相対論と量子論を認める限り、cやhと言った定数が「定数」であることが強力な関係式として物理の前提になってくる。
SIではcやhは極めて扱いにくい数値となっているが、単位の組み方でこれらの値は変わる。
逆に、cやhの定数を決定することが単位を指定することになる。
もっとも、長さ、質量、時間が3つの自由度に対して2つの定数が出てくる都合、1つ自由が残るため、それについても単位を決定することで単位を全て決定できる。
新しいSIの定義はcやhを定数を決定することで単位を決めよう、という順序なのである。
かつて全く独立した単位と思われていたため独立に人工物で定義していた単位は独立ではなかったために現れた定数の確定によって行われるようになった。
というものは独立した概念なのか...
普通に考えたら、独立だが、知識を増やし、実験を増やした結果は、独立したものではなく、何らかの法則で結びついていることがわかる。
そして自然法則には光速度とプランク定数が本質的に絡んでいることがわかる。
例えば、相対運動している別の座標に移る時に不変的な量がある。
世界線距離と呼ばれるが、時間の差をdt、空間距離をdlとして
ds^2=(cdt)^2-(dl)^2
を定数とするような変換になっている。
これは相対論を理論に含める本質である。
なんでcという定数が掛かるのか。
否、それはつまるところ、tのスケールの悪さなのではないか、ということがいえるのではないか。
あるいは、プランク定数h(hbarをそのまま書けないのでhで代用する)に対して、無限小平行移動生成子は定義されると
-i/h*p
として平行移動生成子になっているのだが、pが通常の意味での運動量で、やはりhを1に変えたスケールが取れないか、ということになる。
こちらは量子論の本質になる。
c=h=1
これが理論としては最もきれいなのである。
ざっくり言えば、それが量子論と相対論の混合の結果である。
しかし、その相対論と量子論を認める限り、cやhと言った定数が「定数」であることが強力な関係式として物理の前提になってくる。
SIではcやhは極めて扱いにくい数値となっているが、単位の組み方でこれらの値は変わる。
逆に、cやhの定数を決定することが単位を指定することになる。
もっとも、長さ、質量、時間が3つの自由度に対して2つの定数が出てくる都合、1つ自由が残るため、それについても単位を決定することで単位を全て決定できる。
新しいSIの定義はcやhを定数を決定することで単位を決めよう、という順序なのである。
かつて全く独立した単位と思われていたため独立に人工物で定義していた単位は独立ではなかったために現れた定数の確定によって行われるようになった。