保存則としてエネルギー保存則や運動量保存則が高校からすでに教えられるのだが、そういった物理量が「もし非保存だったら」何が起こるか、というのは案外想像つかないものではないだろうか、と。

非保存な物理量というものはもちろんある。というか、あるからこそ、そういう概念がある。

しかし、理論が「閉じた」ものであれば、つまり、それに何かしらの外的影響を加えることなしにその時間発展ないし、その将来に関する予言能力を持つ場合には、保存則が存在している(保存則が成立する条件は厳密には「対称性」というものと結びついていてこれほど単純ではない)。

例えば、目に見ることのできない、「電荷」の保存則は果たして自明なのか。
つまり、時間が経っても、そこに電荷ないしそれと対応する粒子があれば、電荷の総和は一定であるのか。
あるいは、どんな粒子の電荷も固有なものなのか、という疑問である。
しかし、我々が計算するときには、それは大概自明なもの、という扱いにもはや意図せずしている。

電子の電荷はeというのは、それが光速度に近かろうが、加速度運動していようが、振動していようが、高温に熱されようが、電荷がどれだけかという限りにおいては閉じている問題であって、変わらないのか。

などという、形式論上の議論では保存則が非自明に感じられるだろうが、大昔に戻れば、電荷は物質固有なのか、あるいははたまた通常の物質について見られる保存性を自明なものとして理論を組み立てていると思われる。

熱力学においても、大昔、「熱素」説なるものがあったが、これまた、「熱」というものを物質に見立てることで、暗に「物質が持つ通常の性質を持ったもの」という公理を取っていることになり、例えば
・総量は保存する(実際には力学的エネルギーとのやりとりにより(そしてそれは圧力一定の過程などの場合にはよく忘れられる)非保存)
・質量を持つ(実際にはそもそも物質ではなく、したがってそれと同等な意味での「質量」はない)
などといった、「性質」が抜き出されて公理をなしていた(ことはおそらく物理学史を見るだけではあまりわからないだろうか)

ということは逆に
・総量保存
など、通常の物質と似た性質を持っているものについては「物質に見立てた」モデル
をある程度説明に使うことができると考えられるだろうし、事実、そういうことなのである。
つまり、たとえとして使うモデルというのは、誰でも性質のわかる、類似した性質を保有する別のものを用いて、本来はその性質に起因する問題を性質については細かいことを言わずして伝える、という猫騙し的トリックである。

のだが、なぜかしらその猫騙しトリックは教育現場では非常に多用されている。
つまるところ、多くの人にとって性質の類似した別のものを使ってあれもかこれもか、という形で議論しているが、保存則が成り立たないモデルを議論することは滅多になく、保存則を説明するために大概お金に例えられるが、逆に保存則が成立しないモデルを作れと言われてできる人は少ないのではないか。

実は極めて簡単な話である。
「中央銀行」と「政府」がタッグを組んでインフレをさせたり、もっとわかりやすいモデルにしたければ紙幣が増減価するような制度を作ればいい。
つまり、例えば
「1回使用するたびに1パーセント価値を失う紙幣」
のようなものを考える。
ただし、そのような紙幣は極めて例外的事例を除いてこの世に存在していない。(減価する紙幣は過去に存在したことがある)
他の例もある。紙幣を燃やすとかね。あるいは中央銀行の印刷機を考えるとか。

非保存物理量がもし実在するならそのようなことが起こってくる。
リアルには想像しにくいだろう。

「何もないところから突如出現したり、消えたりする。」

だが、出現消失ではなくて、「変質した」というならまだそういう現象があってもいいかな、と思えるかもしれない。

後者は何かしらの意味での保存性を持ちうるからだ。

保存則とは大概はあるほど自然なのだ。
ない方が、想像つきにくく、それは人工的なたとえ話の世界にしか出てこないのだ。
ではなぜ人工的な、つまり紙幣のモデルを使って説明するのだろう。

おそらく、「変質する」という問題に対して、その前後で一貫して変わらないものの存在を説明するためであろう。変質の前後でも変わらない尺度が存在していて、その尺度で物事を考えることが大事なのである、と。
通貨モデルの場合は交換レートを一定にしておけば保存則は成立する。もっとも、交換レートなどほとんどの場合一定不変ではない。その交換レートの変動性こそ、非保存性を生じさせ、経済活動が生ずる原因である。
ゆえに、個人的には保存則はお金ほど不適切な具体例はないと思うのだ。


保存則を学ぶときには、わからなくなったら、
各々の現象を見るときに、まずは
「何が変質しているか」
を意識に入れた上で、
「何が一定のまま保たれているか」
について
「どのような条件で成り立つか」
あたりを学べばいいのだろうか。