茶に合わせると書いてさごうと読む茶合。
合とはお米や酒の合と同じで体積を測るというものですね。
とは言ってもお茶をしている人でなければわからないでしょうが茶合は竹を適当な長さに切って、真っ二つに割ったような体の、測るには心もとないものであります。
実際、米の合はそれをすりきりいっぱい入れて計り取るのに対して、こちらは目分量ですね。
体積的には目安にもならない。あえて言うならオーダー、すなわち、一の位十の位の位を決定できればいいという程度のものでしょうか。
ではどうやって測るのか?
急須を見るというのがコツでしょうか。
さてそれはいいとして、近年では電子ばかりが発達したおかげですが、茶葉について○g程度、というような表示が見られることが少なくありません。
ここで測っているのは質量です。
鋭い人であれば気がつくでしょう。
かたや「体積」を、かたや「質量」を測っている、と。
体積と質量、どちらで測ってもある程度まっとうなお茶が出せるというのは、この2つが自由ではなく、相関していると考えるのは自然なことでしょう。
実際、質量を体積で割った密度という数値がおそらくどう測ってもある程度の範囲で決まっていて、ということはある程度のズレはありつつも、比例している、と考えられるでしょうか。
ところが、密度が決まるというのはそんなに単純ではありません。
乾燥した茶葉は結構変な形をしているもので、茶葉を盛ると「隙間だらけ」ということを見てとることができます。
隙間の中にはより細かく砕けた茶葉が入ることもあります。
従って、隙間がどうできたりどう埋まるかを考えるのは容易ではありませんが、ある程度見積もれない限り、この比例を言うには難しいでしょう。
また、乾燥した茶葉と言っても湿気を含めば多少は重くなります。
そのように、重さ側に着目しても密度を変える要素があるわけです。
茶葉は固体で変形するにはある程度の力を掛けないといけないのですが、上に乗っかった茶葉からの重みでどの程度変形するか、でまた隙間が変わるかもしれない。
それらの要因を見たとき、細かく考えてこの比例性を示唆するのは非常に難しいし、また茶葉はミリメートル程度と分子原子よりは大きいため、統計的性質を見やすいほど数がなかったりするわけです。
物理において、要素数が1,2,...と増えていくのは原則難しくなります。しかしなぜか無限大でまた簡単になります。
茶葉に限らず、人間の目でわかるくらいの大きさながら数集まって全体的な振る舞いを見せるものの特性を理論で扱うのはかなり難しく、しかし、人類はすでにある程度経験的に技術として扱い方を知っている事例があるのです。
その、結論に対して、正しい説明を作る理論の研究にはたとえば粉体理論などがありますが、一大研究テーマでもあるのです。というわけで、物理には身近なところにも難問があるのですね。
合とはお米や酒の合と同じで体積を測るというものですね。
とは言ってもお茶をしている人でなければわからないでしょうが茶合は竹を適当な長さに切って、真っ二つに割ったような体の、測るには心もとないものであります。
実際、米の合はそれをすりきりいっぱい入れて計り取るのに対して、こちらは目分量ですね。
体積的には目安にもならない。あえて言うならオーダー、すなわち、一の位十の位の位を決定できればいいという程度のものでしょうか。
ではどうやって測るのか?
急須を見るというのがコツでしょうか。
さてそれはいいとして、近年では電子ばかりが発達したおかげですが、茶葉について○g程度、というような表示が見られることが少なくありません。
ここで測っているのは質量です。
鋭い人であれば気がつくでしょう。
かたや「体積」を、かたや「質量」を測っている、と。
体積と質量、どちらで測ってもある程度まっとうなお茶が出せるというのは、この2つが自由ではなく、相関していると考えるのは自然なことでしょう。
実際、質量を体積で割った密度という数値がおそらくどう測ってもある程度の範囲で決まっていて、ということはある程度のズレはありつつも、比例している、と考えられるでしょうか。
ところが、密度が決まるというのはそんなに単純ではありません。
乾燥した茶葉は結構変な形をしているもので、茶葉を盛ると「隙間だらけ」ということを見てとることができます。
隙間の中にはより細かく砕けた茶葉が入ることもあります。
従って、隙間がどうできたりどう埋まるかを考えるのは容易ではありませんが、ある程度見積もれない限り、この比例を言うには難しいでしょう。
また、乾燥した茶葉と言っても湿気を含めば多少は重くなります。
そのように、重さ側に着目しても密度を変える要素があるわけです。
茶葉は固体で変形するにはある程度の力を掛けないといけないのですが、上に乗っかった茶葉からの重みでどの程度変形するか、でまた隙間が変わるかもしれない。
それらの要因を見たとき、細かく考えてこの比例性を示唆するのは非常に難しいし、また茶葉はミリメートル程度と分子原子よりは大きいため、統計的性質を見やすいほど数がなかったりするわけです。
物理において、要素数が1,2,...と増えていくのは原則難しくなります。しかしなぜか無限大でまた簡単になります。
茶葉に限らず、人間の目でわかるくらいの大きさながら数集まって全体的な振る舞いを見せるものの特性を理論で扱うのはかなり難しく、しかし、人類はすでにある程度経験的に技術として扱い方を知っている事例があるのです。
その、結論に対して、正しい説明を作る理論の研究にはたとえば粉体理論などがありますが、一大研究テーマでもあるのです。というわけで、物理には身近なところにも難問があるのですね。