古典力学を扱っている場合においては「状態空間」は測定によって得られた「数値一覧」と言えばよかったわけで、しかもそれは都合、どんな理論でも位置と速度と時間というお決まりだったわけで、それらが満たす関係式を最大限一般的に説明できればいい、という理屈だったのだが、量子論では状態は「ヒルベルト空間中の要素」である。

しかし、量子と名のつくものは実のところ
「量子論を適用した」というだけで、後の細かい公理の置き方は異なる。

細かい公理の置き方が異なるために、いろいろとバリエーションがある。

そしてそのバリエーションはやはり古典論と対応があって、古典論で得意とする部門で得意というか、うまく説明を与えるものである。

しかし、実はそのバリエーションのために、ヒルベルト空間の完全系の取り方が違ってくる。
一番最初に量子力学を習うときには
「位置は状態の完全系を張る」
ということを宣言されるが、あっという間に
「スピン状態は軌道状態とテンソル積を取る」
と言われてしまい、つまり
「スピンを考えるときには、軌道(位置)だけで全部を考え尽くすことはできず、スピン状態を独立に考えて、最後にスピン統計定理に基づいて両者の積を取る」
という話が湧いてくる。

何を言いたいのかというと、「状態」が何者なのか、という問題である。
量子力学で考えるべき「状態」の選び方にはある程度の任意性が与えられていて、それと関わる理論の都合に応じた範囲で妥当な理論を構築できるということになるのだが、しかし、多くの場合、そこにある現実は一つである、と思うし、量子力学の指す「状態ベクトル」は我々の観測対象を指すはずで、その都合、おそらくば完全な理論では一意に「状態」が定義されてもいいのではないか、という公理を私は置きたくなる。

しかし、それを置ける段階には今の所はないし、しかもその固有状態の扱いが理論体系によってかたや意味を持ってかたや意味を持たなくなるような例と思われることがある。
具体的にはニュートン理論を最大限取り込んだ非相対論的量子力学では「位置」の固有状態は意味を持つが、相対論的な場の量子論では位置固有状態で相対論的粒子を表現することができない。
では、非相対論的量子力学における位置固有状態は何者なのか。

古典論ではニュートン理論を相対論からの極限操作で見ることが容易だが、量子力学におけるヒルベルト空間での「状態」は何を表しているのだろうか、と。

場の量子論での演算子が位置や時間を変数に持っているためにデルタ関数のようなものを考えることで「位置」固有状態を張れるのかもしれないが...
何かしらの連続性を見ていないあまりにどうも非相対論的量子力学と相対論的場の量子論が異なる固有状態を張っているのが気持ち悪いなあと。

物性理論の方の場の量子論でも勉強しようかしら