どこかで少しは聞いたことがあるのかないのか、多少でも専門に物理が入っていれば別として、そうでもない人だと聞いたこともないのか、相対性理論というのがあって、それで高速移動して戻ってくると時間がどうの...とか、E=mc^2だ、とか、何が何やら、って人もたぶん多いのでは。
って、うちの父親のせいで、私もまあ、何が何やら、っていうもんだよ、って感じの話をされててとんでもない見方をしていた時期もあったわけですがね。
結論は綺麗だけど導出はやたらと込み入っている、というような点もありますし、興味ない人はそりゃ、そうなるわなっていうのはあるんですが、まあしかし、相対論とかいうのは
人類の常識
ですよ。それが物理学科における、常識なのですよ。
でまあ、ヌルヌルと書き始めましたけど、まず最初に、高速移動が云々というのは、相対性理論という理論の根幹を成している、「ローレンツ変換」というものの結論です。相対性理論が何か、ということを書く前にローレンツ変換に対して少しだけ。
相対性理論では時間とか空間というものが持っている性質(と通常言われますが、ある意味ではむしろ、時間と我々が認識してきたものそれ自身、あるいは、空間と認識してきたものそれ自身の性質)として
・「光速度は相対的に移動している別の存在から見ても不変」であること
・空間(慣性系)の性質は等方的すなわち、特別な方向は存在しない(ただし、物体が相対的に運動しているような場合の、相対的に運動する方向など、観測上の「特別な」方向として特別さをわざわざ与えた場合、相対的に運動する別の系との「辻褄合わせ」の類では特別さが現れることがある。それについては、どの方向を選んだとしても、その方向を「特別視」すれば、その特別な方向に関しての法則は一致する。)こと
・時空間の性質は平行移動によらない
・ニュートン理論が光速より十分小さい範囲では正しい
というような物事を仮定しておけば、それで自ずと出てくる結果が「ローレンツ変換」というものになります(一部で「ローレンツ変換はそれを満たす一つの例に過ぎない」という批判がありますが、残念ながらそのような指摘は与えられている条件を十分には知らないだけ、というものしか私は見たことがない)
でまあ、ローレンツ変換というものが出てくるわけですが、ニュートンの力学はそこに「質量」「力」という類のものを持ってきて、それが座標変換(彼の力学ではガリレイ変換ですが)、その変換に対して今述べたような物理量がどういう性質を持っているか、というのを(あまり深く意識されないことが多いのですが)約束するのが力学の中で大事な役割を担っています。
ところが、アインシュタインはガリレイ変換はダメで、ローレンツ変換で考えなきゃいけない、って主張してしまったので、となると、時間とか空間というものに限らず、質量とか、力という物理で考えるような類いのものにまで、ローレンツ変換で何が起こるのか、をちゃんと考えてあげなくてはいけません。
(特殊)相対性理論、というのは
「ローレンツ変換のもとで物理量がどのように変換されるかを踏まえた物理理論」
ということになります。
よくある反相対論ものは「ローレンツ変換」の段階で置いてけぼりの人たちの戯言にすぎません。
ニュートン時代から言われてきた「運動量保存則」(作用反作用則)はやっぱり成り立ってもらわないと困る、
というようなことを新たに仮定に加えていくことで、運動量やエネルギーの計算方法が決められるようになります。もっとも、この段階では本当は「エネルギー」というものは計算していなくて、運動量の計算しかしていないのですが、ローレンツ変換では空間のことを計算すると時間についての計算も出てきてしまうので、
運動量はベクトル量で、空間的な移動と照らし合わせた計算をすることになるのですが、そうすると今度は意識せずとも、余計な結果として時間についてを計算させられる、ということになってしまいます。
それがエネルギーだった、というのが言いたいことなのですが、突然すぎないか、と。
まあそりゃそうですね。
ただし、まず、光速度に比べて十分遅い場合にはニュートン理論の「エネルギー」と一致するのです。
そして、ニュートン理論で「仕事」を計算するときとか「力積」の計算をする時を思えば、やはり、エネルギーと運動量の関係としてあってしかるものになっているのです。
もっとも、ここで書いたまでで同定するのは無理ですが、のちの実験と照らし合わせてもその結論はより強固されるだけなのです。
ただし、ニュートン力学では運動エネルギーは1/2 mv^2なのですが、これに余計な項としてE=mc^2を足さなくてはいけません。
ニュートン力学は定数をエネルギーに足すことになんら制約を課していないので、足すことに問題はないのですが。
ただし、このE=mc^2は静止時点でも持っていないといけない定数ということになってくるのです。質量を持った物体が持たねばならないエネルギー、なのです。式の上では、そういうことになってきます。
通常、質量が「変化」する事象は見当たりません。
すると、なかなか質量がエネルギーと言われても、あまり意味がない、というのが普通なのですが、
核反応についてエネルギー、質量を計算すると、ようやく、そのエネルギー保存を考えた時に、質量を「エネルギー」と解釈するのが正しそうだ、ということが見えてきます。
ただし、そういう結果が出てきたということは物質質量というもののそのものの存在と対応するような物理量が計算できる法則を見つけてしまったのです。
相対性理論はすでに出来上がった物質、の運動法則を洗練するはずだったのが、ついには出来上がる物質そのものについての、法則の片鱗を見出してしまいました。
ここから先についてはまた機会があれば書いていきます。
って、うちの父親のせいで、私もまあ、何が何やら、っていうもんだよ、って感じの話をされててとんでもない見方をしていた時期もあったわけですがね。
結論は綺麗だけど導出はやたらと込み入っている、というような点もありますし、興味ない人はそりゃ、そうなるわなっていうのはあるんですが、まあしかし、相対論とかいうのは
人類の常識
ですよ。それが物理学科における、常識なのですよ。
でまあ、ヌルヌルと書き始めましたけど、まず最初に、高速移動が云々というのは、相対性理論という理論の根幹を成している、「ローレンツ変換」というものの結論です。相対性理論が何か、ということを書く前にローレンツ変換に対して少しだけ。
相対性理論では時間とか空間というものが持っている性質(と通常言われますが、ある意味ではむしろ、時間と我々が認識してきたものそれ自身、あるいは、空間と認識してきたものそれ自身の性質)として
・「光速度は相対的に移動している別の存在から見ても不変」であること
・空間(慣性系)の性質は等方的すなわち、特別な方向は存在しない(ただし、物体が相対的に運動しているような場合の、相対的に運動する方向など、観測上の「特別な」方向として特別さをわざわざ与えた場合、相対的に運動する別の系との「辻褄合わせ」の類では特別さが現れることがある。それについては、どの方向を選んだとしても、その方向を「特別視」すれば、その特別な方向に関しての法則は一致する。)こと
・時空間の性質は平行移動によらない
・ニュートン理論が光速より十分小さい範囲では正しい
というような物事を仮定しておけば、それで自ずと出てくる結果が「ローレンツ変換」というものになります(一部で「ローレンツ変換はそれを満たす一つの例に過ぎない」という批判がありますが、残念ながらそのような指摘は与えられている条件を十分には知らないだけ、というものしか私は見たことがない)
でまあ、ローレンツ変換というものが出てくるわけですが、ニュートンの力学はそこに「質量」「力」という類のものを持ってきて、それが座標変換(彼の力学ではガリレイ変換ですが)、その変換に対して今述べたような物理量がどういう性質を持っているか、というのを(あまり深く意識されないことが多いのですが)約束するのが力学の中で大事な役割を担っています。
ところが、アインシュタインはガリレイ変換はダメで、ローレンツ変換で考えなきゃいけない、って主張してしまったので、となると、時間とか空間というものに限らず、質量とか、力という物理で考えるような類いのものにまで、ローレンツ変換で何が起こるのか、をちゃんと考えてあげなくてはいけません。
(特殊)相対性理論、というのは
「ローレンツ変換のもとで物理量がどのように変換されるかを踏まえた物理理論」
ということになります。
よくある反相対論ものは「ローレンツ変換」の段階で置いてけぼりの人たちの戯言にすぎません。
ニュートン時代から言われてきた「運動量保存則」(作用反作用則)はやっぱり成り立ってもらわないと困る、
というようなことを新たに仮定に加えていくことで、運動量やエネルギーの計算方法が決められるようになります。もっとも、この段階では本当は「エネルギー」というものは計算していなくて、運動量の計算しかしていないのですが、ローレンツ変換では空間のことを計算すると時間についての計算も出てきてしまうので、
運動量はベクトル量で、空間的な移動と照らし合わせた計算をすることになるのですが、そうすると今度は意識せずとも、余計な結果として時間についてを計算させられる、ということになってしまいます。
それがエネルギーだった、というのが言いたいことなのですが、突然すぎないか、と。
まあそりゃそうですね。
ただし、まず、光速度に比べて十分遅い場合にはニュートン理論の「エネルギー」と一致するのです。
そして、ニュートン理論で「仕事」を計算するときとか「力積」の計算をする時を思えば、やはり、エネルギーと運動量の関係としてあってしかるものになっているのです。
もっとも、ここで書いたまでで同定するのは無理ですが、のちの実験と照らし合わせてもその結論はより強固されるだけなのです。
ただし、ニュートン力学では運動エネルギーは1/2 mv^2なのですが、これに余計な項としてE=mc^2を足さなくてはいけません。
ニュートン力学は定数をエネルギーに足すことになんら制約を課していないので、足すことに問題はないのですが。
ただし、このE=mc^2は静止時点でも持っていないといけない定数ということになってくるのです。質量を持った物体が持たねばならないエネルギー、なのです。式の上では、そういうことになってきます。
通常、質量が「変化」する事象は見当たりません。
すると、なかなか質量がエネルギーと言われても、あまり意味がない、というのが普通なのですが、
核反応についてエネルギー、質量を計算すると、ようやく、そのエネルギー保存を考えた時に、質量を「エネルギー」と解釈するのが正しそうだ、ということが見えてきます。
ただし、そういう結果が出てきたということは物質質量というもののそのものの存在と対応するような物理量が計算できる法則を見つけてしまったのです。
相対性理論はすでに出来上がった物質、の運動法則を洗練するはずだったのが、ついには出来上がる物質そのものについての、法則の片鱗を見出してしまいました。
ここから先についてはまた機会があれば書いていきます。