エセ科学は本当にいろいろなところにはやっている。

なぜ流行るのか。
いろいろなところに理由はあるだろうが、一つに科学が自らを発達させるために育ててきた技術が伝わっていないこととか、科学が自らの仮説の正当性を担保するためにしてきたことが伝えられていないことだろうか。

「科学とは何か」というものがフィーリングにおいてではあるが、古代ギリシャの哲学で行われてきたような頭だけで完結させられるもののイメージや、学校教育で重点が置かれる知識と形式それそのものをやはり科学の本質として持ってしまうことが多発しているのではないだろうか。

テーマに書いた「素朴理論」というのは、私の理解の範疇では
「日常経験の中からできてしまう(体系だっているか否かは別として)、誤りを含んだ認識」
を指す。

日常経験(というよりは「人生経験」というべきかもしれない)からできてくるエセ物理について具体例は研究されている。ただし、メカニズムの考察は必ずしも十分ではないのではないかと思うことが多い。

もっとも、メカニズムの考察をしても、それが正しいかどうかを検証するには、そのメカニズムの論理から予想される別の具体例を生成し、適用できるかどうか、という手法がおそらく科学の理論検証の一つの進め方として、行われてきたものだと思う。

それについて個人的に仮説を持っているというか、思うところがあるため、時々紹介していきたいと思う。