Honeymoon Palsy
肯認学〜lovable session〜と、わたし
vol.1


「これなしには、
いつまでたっても世間様から認めていただけない」

まるで賭けのように、等身大の自分から
ポーンと突き抜けたような、
とっても上の方にいる自分を、
何とか繋ぎ止めて
国家資格取得のための学校に
入学することを決めた。

先立つものがなかったので
万が一工面出来たら!という賭けのような状況だった。

そこで、色々なことが整い、
半ば諦めていた中で
入学の目処がついた。

その矢先、
自宅で腹筋用の健康器具を
椅子代わりにしていたら
急に片手の痺れが治らなくなり
力が入らない状態になっていた。

検査の結果は、橈骨神経障害
いわゆるハネムーン症候群だった。

藁にもすがる思いで、
スパイラルセラピー®︎の施術を受け
治療家さんの元にも通ってみた。

10日ほどして感覚が次第に戻ってきて
握力が戻って安堵した。

その後、無事学校に入学し、
重箱の角を突くような国家試験の傾向に合わせて
詰め込みと実習の日々が始まった。

そもそも先端恐怖症だったり
HSPにあるあるの知覚過敏を
顕著に痛感する行為のオンパレードだった。

通学道中、混雑で片足の爪先しか地面についていないような
社内の手すりでアザが出来るような
朝の通勤ラッシュを10ヶ月程体験する。

重たい教材をキャリーで運び
学校到着は、登山の頂上に辿り着いたような感覚だった。

学校という集団生活が苦手で
友だちとワイワイする記憶がほとんどなかった私だが、
幸い、同年代の社会人枠で入学した優秀なクラスメイトに恵まれ、
切磋琢磨の日々が始まる。

同居していたottoの愛夫弁当を糧に、
クラスメイトの分もお作りして
一緒に食べるのが唯一の癒しであったが、
楽しい学校生活だった。

がしかし、生理的に恐怖心すら抱いていた課題に誤魔化し誤魔化し挑む日々は
次第に何かを蝕んでいった。

咳と痰で、人生で一番苦しい数ヶ月を送ることになる。

教員課程の先輩たちが研究の場として用意されていた
学校内の治療室に通い、
苦手な治療を受け、
身体の苦しさの治療の痛みのダブルパンチだった

皆勤賞を目指していたが、1日だけ休んだことが、限界に気付く機会となったのかもしれない。


数回受けたことのあった
スパイラルセラピー®︎の師匠の奥様が、
カウンセリングをされていた。

気にはなっていたのだが、
封印したいパンドラの箱を開けられてしまうな錯覚があり
ご縁を感じないようにしていた

がしかし、もうこれは一か八か、
お話ししてみるしかないという直感があり、
初めて「肯認学〜lovable session〜」を受ける。

後日、当時の印象を伺ったのだが、
「とにかく体調が悪そうだった」
「顔が真っ白だった」
「覇気がないというか、ゾンビみたいだった」
とのこと。

思い込みで自分を否定し続けて生きてきた中で、
何もかもうまくいかない状況に陥ると、
自分の本質を見失うのだと実感。

現に、自分が何が好きで何が嫌で、
「どんなことがしたい、こうなりたい」
ではなく、
「こうでなければならない」「だから私はダメなんだ」の思考しか持ち合わせていなかった。

セッションを通して、
率直に、今必死で取り組んでいることは、
「はっきり言って自分には向いていない。
ただただ自分を苦しめているだけ」
ということに気付かせていただいた。

回を重ねるごとに、次第に、
「自分は幸せになっていい」と
次第に、思えるようになっていった。

大学時代も同じような状況を経験したことを思い出す。

世間体のために、キャパオーバーとわかりきっていることを、とにかく何としてでもこなせるようになって、大成して社会に順応出来る自分になるのだ!と自分を追い込み、結局、先天性の疾患を発症し、物理的に継続困難な状況に自分を追い込むまでその場を死守しようとした経緯がある。

20年近く経って、状況は類似していた。

「やってみたい」と「出来ない」の狭間で
今日まで至っているように思う。

がしかし、自然の摂理に則った流れに身を任せてみると、
呆気なく学校を辞め、
諦めていた「結婚」に踏み切ることが出来、
追い風が突風のように巻き起こって
結果的に平日の昼間の結婚式に、
しかも2週間前の告知で
多くの友人知人が参列してくださったのだ

0ベースの手作り結婚式、
しかも事情があって父は不在。

予算も無い中で、母が気に入っていた和洋折衷の街の教会で
母が率先して神父様に話をつけにいってくれて、
結婚準備講座も、近所の教会の仲良しの神父様
が特別にマンツーマンで教えてくださり、
無宗教のottoも、時にやんわりとでも激論を交わしながらも、今度は飲みにいって続きを!的な仲にまで発展。

もちろんその神父様も、教会を超えて参列してくださった。

可愛い姪っ子も甥っ子もまるでリングボーイとフラワーガールのようにそばに居てくれた。

私たちの結婚を祝福してくれる方だけが集まってくれた
地味ではあるが、アットホームなお式となった。

披露宴はなく、街のイタリアンの2階を貸し切り、
大家族のディナーのような温かなひとときとなった。

皆さんが喜んで感動の涙さえ流してくださる姿に心打たれ、
「結婚してよかった・・・」と
心底そう思うことが出来た。

本当にありがたいことだ。

「幸せになっていい」
「幸せになるために生まれてきた」
ということに、気付き思い出させてくれた
肯認学〜lovable session〜。

HSP気質の私は、日頃、関わりがあったり、
すれ違いざまに気になった方の表情というものが
脳裏に残るシステムに、私の場合はなっている。

自然なその方らしい微笑みと
いきいきした表情に変えていってくれるのでは無いかと思い始め、
肯認学〜lovable session〜のセラピストとなった。

未だに、手首に後遺症のようなモノが残っているが
よい戒めとなっている。