my story vol.8 高校+α+高校

晴れて高3を早々に自主退学する運びとなり、13年間袖を通した制服を「着ない日常」が始まる。

留学予備校の英会話教室に通い始める。あがり症で、カジュアルな環境で率先して会話に入るなんてとても出来なかったが、お友達が出来る。度々平日の午後に出かけるようになるが、普段行くと賑やかなショップや公園に居ると、何だか不良になったような気持ちになった。

知り合いのポーランドからの留学生のお姉さんに同伴してもらい、原宿で憧れのミュージシャンに寄せてピアスの穴を開ける。イテテ・・・

留学準備の目的で、3週間カナダでのホームステイを経験。人情深いお母さんと、大型バイクに乗せてくれたかっこいいお父さんのお家で、2人の妹たちにお部屋を間借りした。1週間かけて、国立公園のツアーへ行ったりして、広い広い北米の自然を体感する。現地から直接、編入することが決まったアメリカへ出国する日は、背水の陣と恐怖と将来への一筋の希望と、愛情深いお母さんとの別れが辛く、空港でお母さんと抱き合って号泣。

アメリカでは、治安を考慮し、あえて英語力強化のため、移民者のための英語教室を設置していない現地校に通うことになった。

通学初日、いきなり高4のアメリカ史の授業へ。(※アメリカの教育システムは、中学2年、高校4年。)訳がわからず、隣の席の赤毛女子に経緯を話すと、大きな声で冷やかすように笑われる。5分間の休み時間に、必死にたどり着いた2次元目の教室は、代数のクラス。机と一体となっている椅子から、明らかにサイズオーバーではみ出している長身男子が何人もいる広い教室だった。嘲笑われた後は、いきなりモデルのような金髪男子のいるクラスとは・・・。何とも刺激的過ぎて今でも昨日のことのように思い出す。幸い、アクセント強めのベトナム人の先生が、満面の笑みで優しくパワフルに指導してくださり、癒しの授業となった。

お昼になり、ひろーいカフェテリアへ移動。どこへ行ったらいいか分からず戸惑っていると、香港出身の背の高い女子が声をかけてくれた。顔は似ているが、全て英語。
でもやっぱりアジア系の文化は、分かり合える部分が多く、居場所を見つけられて救われた。

今でもスラングには疎いが、第二外国語同志という安心感から、比較的なんでも言葉にする努力をする良い環境だった。

授業中、今先生が何を話していて、課題は何で、宿題は?といったことを、周りのクラスメイトに確認したり、スルーされることが多かったので、直接、授業後先生に確認に行く日々が始まる。

日本の学校でも同じように路頭に迷っていたが、「聞かないと誰も助けてくれない」環境は、厳しくもあり、有難い成長の場になった。

とにかく分からない単語だらけだったので、夜な夜な英和辞典をひきまくり、辞書に書いてある漢字が読めなければ、漢和辞典を引き、和英辞典を使って文章を書き、寝不足の日々が続く。

周りは、住宅街と言えども、林に囲まれており、お店は丘を20分ほど下った場所にあるため、どこへ行くにも、ホストの家族にお願いするという生活は、窮屈に感じられた。

一方で、初年度はスクールバスには乗らず、お父さんかお母さんが毎朝夕、高校へ送迎してくれたので、とても助かった。

リタイアされた英語教師の女性に、週1回家庭教師をしていただいた。英語教育に重きを置いている高校だったため、学校の課題を必死にこなしながら、文法や作文を鍛えられた。

3割はアジア系移民の学校だったが、成績の付け方に関して、明らかに人種差別を感じる場面もあった。家庭教師の先生も働きかけてくださったが、残念な結果に終わったことが悔やまれる。

日本とアメリカの教育システムの違いから、必修科目をこなすために、2年かけて高校を卒業。大勢の方の存在あっての卒業は、感慨深かった。当時の友人は、今でも交流が続いている。因みに、高校初日に声をかけてくれた香港出身の生徒さんは、祐吉がホームステイしていた家族のお兄さんと結婚し、現在なんと日本に住んでいます。内気だった祐吉を強制的に合唱のクラスに入れられたのだが、2年目に交換留学生として毎日クラスで時間を共にしたフィンランドからの留学生の女子とは、つい2年前、0歳の赤ちゃん連れて東京まで会いに来てくれた。

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