易といえば、日本人なら誰でも反射的に「高嶋易断」を連想すると思います。コンビニにも置いてある、易の本ですね。

その総家の理事長、「高嶋象堂」という方が書いた本で、「自分で出来る水子の供養」という本があります。

この本は、1988年に書かれた本ですが、今すぐに増刷はしないと思われますし、アマゾン在庫も少ないので、少しでも多くの方に「水子の事実」を知っていただきたく、今回より、順を追って、本の内容をご紹介していくことにしました。

後に水子に関わる色んなお話が出てきますが、

いつからでもご自分でご供養が出来ますように、

まず、高嶋先生の水子供養の方法を、ご紹介します。

 

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自分で出来る水子の供養   高嶋象堂 著

 

p188 第五章

 

☆過去を悔やんでも事実は消せません

 

選んだ行為は取り返しがきかない

 

水子を作ったという罪の意識にさいなまれ、「あのとき、無理をしても産んでおけばよかった」

「なぜ、あんな人とつきあってしまったのか」等々、いつまでも思い悩んでいる人がいます。あなたもそうではありませんか。

水子を作った罪さえ自覚していない親の多いことを考えれば、これはむしろ良心的な態度だとも言えます。

しかし、あなたが水子を作ってしまったことは事実なのです。もう起きてしまったことなのです。どんなに悔やんでも自分を責めても、あるいは相手の男性を恨んでみても、けっしてその事実を消すことはできません。死んだ子供は生き返ってはこないのです。

 

過去をやり直せない以上、今出来る方法で罪の償いをするのが、最善の道でしょう。

それはせめて死後、水子が幸せになれるように、心をこめて供養することなのです。

 

 

 

 

水子はあなたの不幸を望んではいない

 

 

ときには、自分を責めて不幸でいることが罪のつぐないになると考え、幸せをつかむのがまるで、悪いことのように思いこんでいる人がいますが、それは違います。

まるで自分から不幸を招きよせるかのように、不倫の水子のことをご主人に告白して、夫婦は離婚、ふたりの子供は別々に引き取るというふうに、家庭をメチャクチャにしてしまった女性がいました。こんなことをしても水子は喜びません。むしろ、なんの罪もないご主人や子供さんの心を傷つけるという、新しい罪を重ねてしまっただけなのです。

罪の意識をひとりで抱えているのは、つらいことかもしれませんが、現在の家庭、家族や周囲の人の幸福も大切なのです。あなた自身の幸福も大切にしていただきたいのです。

水子が望んでいるのは、親であるあなたの愛情、供養だけです。ときには霊障によって親を不幸にすることもありますが、何度もお話したように、それは自分のほうを振り向いてもらいたいがための、やむえぬ手段なのです。本気で親が不幸になればよいと願っているわけではありません。

人生は緞帳の上がった舞台だと、わたしは考えています。幕が上がってしまったら、途中で後戻りすることはできません。今、このときを大切に生きるしかないのです。過去をいつまでも悔やんでためらっていると、舞台は進行できません。立ち止まっていては、幸せにはなれないのです。

あなたが、今出来る最良の道、すなわち水子供養を行ってあなたが幸せになることは、水子自身も望んでいることなのです。

 

 

 

なにより必要なのは心です

 

 

お坊さんに頼まなくても大丈夫

 

私が、供養は自分の心で、自分の手で行いなさい、と言いますと、「わたしは方法を知りません。それに自分で行ったのでは、ちゃんとした供養にならないのではないですか」と心配される方がいます。

日本では、お葬式をあげるのにも、法事をするにも、お坊さんを呼んでお経をあげてもらうのが当たり前になっています。熱心な仏教徒でなくても、それがないと本当の供養にならないと考えている方が多いようです。

しかし、こんな風習ができたのは、割合最近のこととされています。江戸時代になって、檀家制度ができてからだと言われております。

初期の仏教経典をみますと、「お釈迦様は亡くなるときに、葬儀は出家者ではなく、在家信者が行うように弟子に指示された」という内容の記述がでてきます。出家者、つまりお坊さんの仕事は、修行して悟りを開くことと一般の人に仏教の教えを説くことです。葬儀のような個人的なことは、本来のお坊さんの仕事ではなかったわけです。

つまり、お坊さんに頼まなければ供養ができないというのは、おかしいということになります。

お坊さんに、供養の手助けをお願いするのがいけないことではありませんが、供養をするうえで、絶対必要というわけではないのです。

では、自分ひとりで供養する場合の方法ですが、これは日常使っている言葉で、自分の気持ちのあるがままを水子に語りかけるだけでよいのです。ちょうど、生きている子供に向かって話すのと同じです。

 

「赤ちゃん、ご免なさい。赤ちゃんを宿しながら、早々と霊界へ送ってしまったりして、お母さんは悪い人ね・・・・。

でも、そうしなければならなかったお母さんの気持ちも分かってほしいの。

あの時、赤ちゃんを産んでいたら、おそらくお母さんも、そして赤ちゃんも、大変辛い思いをしていたと思うの・・・・。

でも、そのために赤ちゃんを葬ってしまった罪は罪です。許してちょうだいね。

これからはお母さん、赤ちゃんがとても幸せな運を持って、この世に再び生まれてこられるように、心をこめてお祈りします」

と、このような感じで語りかければよいのです。

もっとも、あなたの思いを、水子のもとへより強く届けるための方法、一定の形もあります。それはあとで詳しくご説明するとして、ここでは、何の飾りもないあなた自身の言葉、あなたの心から出た祈りこそ、なによりも水子が喜ぶのだということを、声を大にして強調しておきたいと思います。

 

 

 

墓碑や位牌は必要でしょうか

 

水子だけの墓は建てない

 

子供を失った悲しみからか、先祖代々のお墓より立派なお墓を、水子だけのために建てているところを、見かけることがあります。気持はわかりますが、水子のためには、これはよくないことです。

水子の場合、おとなになってから亡くなった人と違い、煩悩を持たないゆえに、正しい供養を受けさえすれば再び人間として生まれ変われるチャンスが高く、しかもその時期は早いということは、第一章でお話しました。

ならば、水子がいつまでも霊界にとどまらず、一日も早く幸せな人間として生まれ変わることを祈るのが、親としての一番の愛情ではないでしょうか。

墓は、末代まで残るものです。それに向かっていつまでもおがみ続けることによって、水子をかえってこの世に引きとめてしまう可能性もあるのです。

また、水子だけのお墓を立てて、先祖代々の墓と別にしてしまうのは、水子を家族の一員ではないと、継子扱いすることにもつながります。

お骨があったりして、お墓が必要なときには、あなたの家のお墓に一緒に埋めてあげるのが一番良い方法です。家族に秘密の水子でそれができなかったり、あるいは最近、都市に住む核家族に多いのですが、家族のお墓をまだ持っていない場合には、寺の住職が作ってくださる塔婆という細長い板を建てるだけでもよいのです。これなら末代までは残りませんので、水子を引きとめてしまう必要はありません。

なお、水子のために、わざわざ立派な位牌を作る必要もありませんが、これもお墓の場合と同じ理由です。

 

床の間に線香をあげるだけでもよい

 

供養をするときは物や形は必要ありませんが、もしあなたの家に仏壇があるのならば、お線香をあげて、それに向かって水子の供養をしていただきたいのです。

「心だけが必要ならば、台所のテーブルに向かってだって、供養はできるでしょう」などとおっしゃるかもしれません。実際、わたしが指導した方のなかにも、そんなふうに場所を決めずに供養をしてみると言って、実行した方もいるのですが、しばらくするとみなさん、うまく水子に向かって祈ることができないと報告してくるのです。

水子霊は、たとえすぐそばにいても、ふつうの人の目には見えません。暗闇の中で、あるいは目をつむって人に話しかけてみればわかりますが、本当に話が通じているのか、不安になるはずです。見えない相手に向かって心をこめて語りかけるのは、慣れない人にはとても難しいことなのです。

仏壇は、そこにまつられているご先祖様に日々語りかけ、供養するためのものです。ふだんから訓練が出来ていますから、そこに水子の霊もいると考えるほうが、水子に向かって心を集中しやすいと思うのです。また、霊界にするご先祖様も同時に供養して、水子を導いてくださるよう、お願いすることも出来ます。

お仏壇がない場合は床の間など、あなたの心が一番落ち着く場所を一ヶ所決めて、水とごはん、お線香をあげ、そこに水子霊がいるつもりで話しかければよいのです。

 

 

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次回は、お仏壇の作り方について、記事を書かせていただきます。

 

読んでくれて、有難うございました。

高嶋先生にも感謝いたします。