現代人のわたしたちに共通する癖として、
「自分ごとと思わない」
というものがあります。
世界で巻き起こっていることも、日本で起こっていることも、
いざ自分の身に起こらないと、気付かないほど、毎日が忙しい。
いざ自分の身に起こったとき、自力でどうにかするということより、
周りを見渡し、他力に頼ろうとする癖もある。
眼に見えない何かを見ようとしないのに、
いざとなると眼に見えない何かに頼ろうとする。
水子さんのことにポイントを置くと、
「眼に見えない何か」という水子さんについて考えた時、
まず、水子さんとは何かということも不可解だと思います。
それもそのはず、学校の授業では皆無ですし、
書籍もほとんど出ていません。
では、タブーなことなのか・・というとそうでもありません。
そう、水子さんは、タブーでもなんでもなく、
「生まれるはずだった日本人」のことです。
アメリカであれば、
「生まれるはずだったアメリカ人」。
わたしたちのいる、祖国日本に、大切な人材。
わたしたちの家族、子供、兄弟、従妹になるはずだった人。
もし生まれていたら、
何十年も一緒に暮らし、生きて、言葉を交わすはずだった「今、どこかで暮らすあの人」のことです。
どこかで・・と書いたのには、意味があります。
水子さんのいる場所は、その供養によって、行く場所が違います。
親である方が、心から供養した水子さんは、天国に。
親である方が、供養を忘れている場合は、暗い、冷たい、寂しいところにいます。
もし、
何かの事情により、「こちらの都合で葬ってしまった魂」は、
その「葬られる時に味わった苦しみ、痛み」を抱えて、
そのことを一番身近な人に、いろんなシグナルを持って訴えてきます。
ここまで読んだ方は、
「水子は怖いもの」
と思われたかもしれません。
でも、ここからの文章を読んでもらえれば、
怖いという気持ちは無くなることと思います。安心してください。
まず知るべきは、
水子さんは、「人間」ということです。
わたしたちと全く同じ条件で、同じ心を持ち、同じく人生の青写真を持ち、
自分と同波長の人間を、親と思い、頼って宿った命そのものです。
天国で、お空の上で、産まれるために並んでいた人です。
わたしたちは、こう思ったら都合が良いという方便のもと、
水子さんのことを、「人間でも仏でもない」という風にカテゴライズしてきました。
日本同様、海外でもその風潮が強いといえます。
そう思えば、そう言えば、
とりたて供養の必要もありませんし、後々苛まれる必要もありません。
若い方は、誰もそういうことを教えてくれませんし、
そういう方が親になっても、同じことです。
でも・・生まれながらにそれを知っているという人もいます。
そういう人は、もし自分が流産、もしくは堕胎したときは、
自ら進んで供養していきます。自分でなくても兄弟でも、従妹でも同じことです。
何か水子さんのことを、もののけのように思う必要はなく、
先祖や、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんと全く同じところに
いるべき魂ということを知ってください。
そして、それが出来るのは、その心が唯一届くのは、
直系である人間、そして、その魂をこの世に送り出すはずだった、お母さんです。
「水子ができたから、すぐにあのお寺に頼んで供養してもらおう。」
供養という意識では、それは間違っていません。
しかし、これからこのブログで紹介していく供養の方法が、
これからの悩める方々、そして水子さんの大きな喜びと安心に導くことを
望みます。
読んでくれて、有難うございました。
大船観音のお導きにて、書かせていただきました。
