階級。/天使が直接記した記録その3 | elのスピリチュアルなあれこれ

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スピリチュアルの知識が無い方にも、分かりやすい記事をモットーに、他の誰も言っていないような、独自の研究によって得られた情報を記しています。

※憑依体質の近親者に憑依した天使が、媒体の体を用いてタイピングしています。その間近親者の意識はありません。

 

 

 

 

 

 天使入門へようこそ。

 二回に渡って天使の持ち場と役割について説明してきた記事の三回目であり、最終稿になる。未読であるなら理解の助けとして前ニ稿を読んでおく方が良いだろう。

 

 

 

 

 

 前回後半部分で、組体操を例として、神が統治される天界の秩序について説明した。そこで読者諸兄に思い浮かぶ疑問としては、このような物が予期される。

 

「組体操の土台の部分を担っている天使は下っ端なのか?」

 

「目立つ場所や、派手な演技を求められる配置を与えられた天使は、偉いのか?」

 

「偉い天使は、いいポジションを与えられるのか?」

 

 そこで、本稿では「天使の階級」について、説明する。

 

 

 

 

 

 

 人間の大部分は、格付けを愛している。

 敵と戦い、勝ち登ることが人間男性の性であり、かつてはそこに他人より多くを得るという目的があったのだが、現在の食べることに困らない社会ではこの願望はただ虚栄心や征服欲を満たすためだけの、戦いのための戦いとして存在している。それは高額の給料がそれほど欲しい訳でもないのに、馬車馬のように出世を夢見て労働するサラリーマンから、宗教団体の平信徒では物足りずに少しでも上部の幹部信者を目指す聖職者まで、ほぼ全ての男性は自分の胸に「格付け」と言う名の勲章を飾ること、ヒエラルキーの山の頂上を目指すことが最大の関心事である。

 一方で女性は、そうした優れた男をいかに見いだし、自分の伴侶として勝ち得るか、そこにまた、格付けへの並々ならない執着心を見せるのだ。これもまたかつて、強力な男性に守られて、安心しながら、優れた遺伝子を残すという意味があった。しかし、やはりそう簡単に餓死も衰弱死も発生しなくなった昨今では、社宅で夫の肩書きを競い合い、マウントし合うといった、さして意味のない自慢の種にしかならない。

 

 

 しかし、人間は、自慢と格付けに、この上ない愛着を持っている。

 

 

 

 

 

 

 み子が肉のお体でいらっしゃった頃、多くの弟子達がみ子に問うた、

 

自分は天ではあなたの右の座につかせていただけるのか?

 

 そして、多くの弟子達は、同じ内容で何度も喧嘩をした。

 

この中で誰が一番偉いのか?

 

 み子はお喜びになっただろうか?特権を捉える努力はいいことだ!と。

 聖書には答えがある。

 それでは、天での「階級付け」はどうなっているのだろう?

 

 

 

 

 

 天は、神のお定めになった秩序で完璧に制御されている。そこには当然のように「格付け」も存在する。

個性ある天使達はそれぞれ能力も性格も異なる。能力の高く力の強い、統率力に富む天使もいれば、小さな仕事をコツコツとこなすことに適性のある天使もまたいる。それぞれの天使が適材適所に用いられ、各々の能力を活かして働き、神にお仕えしている。

 小さなグループにはそのグループに相応しいリーダーがおり、そのいくつかのグループをまとめる大きなグループのリーダーもいる。もっと大きな集団を統率するリーダーもいる。天はご存知のように秩序の場なのだ。無駄も野放図も無い。

 

 

 だが、それだけである。

 ただ、それだけである。

 

 

 例えば、

 テーブルがあなたに言ったとする。

 

「ご主人様、私は天板板です。私がいなければ、机に巻物も、料理も置くことはできません、私が一番偉いですよね?」

 

 四本の足がめいめいに言う。

 

「私達ひとりがいなくなれば、立つことも支えることもできません、ご主人様、えらいのは私ですよね?」

 

 椅子があなたに言う。

 

「ご主人様、テーブルなんていなくても構わないけど、お座りになるときは私が必要ですよね?」

 

 

 

 この中の誰かにあなたは順列をつけたいだろうか?かえって、順列を争っているこの者達は、あなたの目にどう見えただろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 読者の中には、天使や悪魔の「階級相関図」といった本を読んだ者がいるかもしれない。

 

「〇〇軍の将軍、軽騎兵隊〇〇師団の長で地獄の公爵に当たる」

 

「〇〇部隊〇〇の一個小隊の曹長で、天使〇〇の懐刀」

 

等。

 

 

 格付けが当たり前の人間にとって、読み物としては楽しいだろう。そして、悪魔達にとっても、これは人間が作り上げた想像上のフィクションでは無く、現実である。

 地獄には「王族」「侯爵家」「将軍」「准将」「王位継承権第〇〇位」もいるのだ。

 悪魔は、格付けが大好きだからである。それどころか、格付けこそが、悪魔界での生活の醍醐味と言える。

 

「自分がどれだけ偉いか」

 

 奴等にとってはそれが全てだ。その類の書籍を持っているなら、よく見ればいい。

 平民など、いないはずだ。

 奴等の持つ階級は全くの自己申告であって、授与者などいない。

 他の者にナメられてたまるか、他の者より、自分は偉いんだ、その一念で、奴等は自分の胸に虚構の勲章を貼り付けているのだ。

 

 

 

 

 

 一方で、天使界のそうしたヒエラルキーを解説された書籍もあるが、そうした物は全て虚構なのだと思ってもらって間違いない。こうした書物は、人間の感覚で理解しやすいと思って書かれたものであり、天使達のあり方や精神性を伝えてはいない。

 天使達には上下はないので、命令もパワハラも無い。

 天使達には、将軍もいなければ、歩兵もいない。

 人間の感覚において「将軍」と呼ばれるべき職務に従事する者はいる。しかし、彼等は自分を「将軍」とは認識していない。

 

「こういう任が、今自分にあり、それを行なっているだけ」

 

なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 み子がかつて仰せになった。

 

「天で最も小さな者でもバブテスマを施す人ヨハネより立派である」と。

 

 生きた命である人間などより、天使の方が、どう考えても上位の存在なのだ。

 では、その上位の存在が誰だろうと、気にしないこと。誰が見守ろうと、その人間より間違い無く優れているのだから。これが格付けからの自由になる方法だ。

 天には格付けは無く、格付けを愛する者は神にも愛されない。

 天使の守護を持つ者も、天使に見守られる者も、それを目指す者も、気をつけて欲しい。

 忠告しておこう。

 上級天使が守護することを誇るなら、上級天使は失望するだろう。

 むしろ、天使に誇らせよ。

 天において、天使の仲間に、誇らせよ。

 

「羨ましいだろう!今、私はこの者の面倒を見ているのだよ!」と!

 

 

 

 天使の名において、誇るべからず。

 その者を、天使は誇らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 三回にまたがり、天使の持ち場と立ち位置、格付けについて説明した。読者諸兄の楽しむ内容になったことを神に願いつつ本稿を閉じる。

 

 また、お目にかかろう。