成瀬です、こんにちは。

このお題は面接を前にずっと考えていたテーマです。
現役の学生と社会人の違い、それってなんだろうと自分なりに思考した結果を残しておこうと思います。

プロは仕事において、過程も結果も等しく力をかけられる人。
対してアマは過程か結果かそのどちらかを手にしていれば一流と言われる人。

そうかもしれないなーと今の私は考えました。尚、これは成瀬個人の経験と思考からの一意見なので様々な意見があっていいと思います。

以前、友人からこんなことばをいただきました。
「誰かに先回りして正解を聞くことも生きていく上では大事な手段でもあるけど、この道…今自分がその人生というか…その運命を辿っているからこそ、実感して(自分自身がしりえること)わかることがあるんだ」

凄く納得しましたね。ゼミの後輩や同期と飲んだ5月の飲み会のときのゼミ長(同期)の一言だったと思います。

私が4ヶ月働いてみて考えたこと。
多分もっと経験のある方や、なにかもっと表現力がある方には私の言葉はひどく不安定で浅く感じる部分もあるかと思いますが、今の私が出した恥ずかしくも立派な最大級の答えがこれです。

当然、私はアマではなくプロを目指して歩んでいきたい。
それは、誰かに夢を与えられる人に成りたいという夢を叶えるためでもあり、今、面接を受けるのは去年と違う意味で成長した自分をアピールできればと思うからです。

とはいえ、
私は誰かをプロにしたいわけではない。
なってくれれば嬉しいですが、所詮他者をプロにはできません。自分で選んでこそプロになって食っていける・長く生きていけるのではないかと考えるからです。
指導者ができる精一杯は、誰かを様々なアマにすることだと私は思っています。つまり、結果か過程かそのどちらかをたくさん経験させてあげること、時に嬉しく時に辛いときを共に分かち合い、彼らなりの思索の促進や真の自己に気づかせること…。

私もたくさんの方に様々な結果や過程を教えていただきました。そして、私はたくさんの経験の中から、自分がプロになりたいと選んだのが、この職でこの場所だったということです。
最後に相手が自ら選んだものでプロとしての修行が始まれば、私自身も誰かを育てる上で…誰かとかかわり合うなかで本当の幸せを手にできるんじゃないかなと思います。

自ら選んだもので勝負してこそ、
納得いく人生が紡げるのではないでしょうか。

先日、楽しいだけじゃ人は動かないこと、動きが活発化する訳じゃないことを学びました。
楽しいはあくまでも叩き台であり心の支えであり安全地帯なんだということ。
それを活かして工夫することからが本当の学びの始まりであるということ、仕掛人としての頭の捻り、活躍の場であるということ。

毎日が勉強です。

夏休みが過ぎても、私は元気です。