ズレているという感覚。 | ⭐My precious memories⭐小5娘と4歳息子⭐

ズレているという感覚。

私は、25歳前後くらいから、自分と他者、自分と社会の間にズレがあるように感じて、そのズレをどうすることもできないまま、45歳になった。


20年。なんとも言えない馴染めない気持ちを持ったまま。これは抱えたままこれからも生きるんだろうなって思っている。


そのズレをどう表現したらよいのかわからない。

とにかく、ことごとく、歩調が合わないのだ。


私が髪の毛を振り乱して生活し、ハゲ散らかして贅肉を蓄えて、色々なことを同時に手に入れることはできなくて好きだった仕事を諦めて、でもかけがえなのない宝物を2人授かれたこの10年。


この10年で、電子決済やら、それこそ、SNSの拡大やら、AIやら。電子頭脳?なにそれ?みんな、何を言ってるの?

ちょうど仕事を辞めてパソコンをあまり開かなくなった10年と重なってしまい、かなり世の中の流れから取り残されてしまって、

社会とのズレは加速度を増すばかり。


私は、前職場で、2011年頃かな?いきなり、退職金を運用せよ!と言われて、地銀が説明会を開いてくれたけど、その頃から今の世の中の流れを読んで、マネーリテラシーを身に着けていたら、違った未来があったのだろうか。


私は頭の硬い人間だ。

ギャンブルとは疎遠。大キライ。ギャンブルって聞くのもおぞましいくらい嫌悪感がありました。

だから、夫がかつてパチンコにハマっていたのも、全否定して辞めさせたし、実は、義父がどうしようもないギャンブラーなのも生理的に受け付けない。


でも、結局、今、私がやってる投資信託もつみたてNISAも、ギャンブルの側面、ギャンブルの要素があるように思うのだ。

てか、そうやん。て。


嫌悪感を抱くものに時間をさきたくない。知ろうとも思えないのはある意味当たり前だ。だから私はこれらを勉強しようとしても全く頭に入ってこなかったのか、と最近なんとなく合点がいった。

 

土台、ペイペイすら使えない私が、そんな高度なことできるわけないのだ…。


最近、少し勉強し始めて、分かったことは、

私には向かない…ということだった。

いっそ、投資信託もマイナスのまま解約してつみたてNISAもやめてしまおうか。

とおもいつつ、留まっているところだ。


こういうのできちんと利益を出せる人は、たぶん、学校の成績云々とかではなく、本当に、向き、不向き、そしてそこに向き合い知識を得ようとする気概を持てるかどうかだと思う。


私は、元本割れ、なんて、あってはならないことだという価値観で生きてきてしまって、結果、現代の国が勧める流れにすら乗れないならば、

いっそのこと、真面目に勉強ばかりせずに、

夫のように中学生からパチンコでもやってりゃ良かったのか。だったら免疫もついたのか。

否、なんかちがう(笑)


例えば私は現国が得意だから読解力はある、と思っていたけれど、私の読解力って、文学的な文章や小説を読んで感じることであったりする。でも、これからの国語力で必要な能力を調べていくと、どうやら、文学的な要素ではなく、データを読み解く力や、論文を読み解く力にシフトされている気がします。ここも、なんだか、私には生きにくい変化になっている。だから、お金の勉強はいくら読んでもなかなか理解できないのか。


私が思うことや、理想とすることとはことごとく逆に行ってしまう社会情勢。

なんだかせつない。

時勢に乗りたい気持ちはあるのに、どこか諦めている自分もいる。


ここ最近、つまんないブログになっているが、これも私の記録として。


また職場で感染症が蔓延。職員も次々罹患して休んでいるため、元気な職員を確保。現場に入るな。ということで今日は1日事務仕事をした。

こんなことしてたら私はクビになっちまうんじゃなかろうか…。


そこはかとなく、風邪を引きそうな予感。

葛根湯を買ってきたのでさっそく飲んで、

今週も元気に乗り切りたいものです。


私、この10年で、社会や他者とのズレをさらに感じるようになったけれど、だからこそ得たものもあって。それは、やっぱり、ここで自分の感情を書きなぐってきたことで、読み返すとそれなりの自分の記録が残せていること。そこに、夫が、かあたんが、ゆうくんが登場してくれたこと。そして、ブログを通して、流動的ながらも、長く、長くともに子どもの成長や毎日の生活、日々感じたことをお互いに共有できるかけがえのない存在を感じられること。

そんなことを考えていたら、なんだか心の奥が熱くなってきます。ありがたいなぁって。


生きているって、いいもんだなぁって、そう思います。

大変なことだらけだけどw