透明なゆりかご。
最終回だった。
この夏、見ていたドラマは、
透明なゆりかごとグッドドクター、チアダン。
そして義母と娘のブルース。
透明なゆりかごは、
不妊治療を終えた今は、
複雑な気持ちになることも多かったけど、
毎回毎回涙なしでは見られなかった。
コウノドリより、良かったと思う。
生命の誕生における、
明と暗…。
それを取り巻く環境…。
色々と考えることがあった。
私は、基本的に、思考が不妊様なので、
その視点で、穿った見方をしてしまうのだが、
そのあたりもうまくドラマを作ってくれて、
脚本のすばらしさを感じた。
例えば、望月さん(水川あさみ)が、
妊娠して悪阻で苦しいなか、看護師として勤務していたとき、
『仕事もしたい、キャリアもほしい、婦長(現、師長)みたいになりたい、子供も生みたい』
で、ごちゃごちゃしていたときに、
婦長(原田美枝子)が一言。
『全てを手にいれようとしてはだめよ』
的なことをズバッと言ってくれたこと。
これは20年前の物語なので、時代背景もあり、これを現代に置き換えたら、
それこそ、マタハラだと言われ、訴訟され。となる事態なんだろうけども、
私は婦長の意見がごもっともだと思うのだ。
現代における働く女性は恵まれているよ。
特に子持ち。妊婦さん。
結局20年前でさえ、後から婦長が望月さんに謝っているんだけどね。
私は、職場に迷惑かけるなら辞めてくれたほうがいいな、なんて思ってしまう、ダメ人間です。
で、産休育休、時短の社員なんて、
独身社員や子供なし社員にとって、迷惑かける存在だと思うので…。
こんなこと、実社会では絶対に言わないけれど。。
そして、例外も、あるだろうけど。
でも、このドラマ、いいなぁと最後まで思ったのは、
最終回で胎児に異常がみつかり、産んでも数日しか生きられないことがわかっている妊婦さんに、ちょうどお腹の大きくなった望月さんが必要以上には関わっていないように見えたこと。
ドラマのなかでは、『私、最近分娩に立ち会えていないので(もうかなりお腹は大きいから無理できない)、みとりには立ち会えます!』
なんて言っていたけれど、
もし私が、胎児に異常があって、その子を生むときにも、みとるときにも、
幸せに育つであろう健康な赤ちゃんを妊娠している看護師さんに側にいてほしくないし、視界にも入ってほしくない、と思ってしまうのだ。
ごめんなさい。
こんな人間で。
でもまぎれもない本音で。
だから、ドラマを見ていて、望月さんおいおいおい、と思っていたけれど(私が一般的ではないのは承知です、すみません)、
そのあとの描写で、望月さんが直接的にその妊婦さんには関わっている場面はなかったので、
たまたまかもしれないけれど、
本当に、脚本すごいなぁと思った。
で、胸が苦しくなるほど、心から泣けた。
私のような思考をする人間は、
おそらく望月さんが、
『がんばろう』とか、あおいちゃんが言った台詞を言ったとしたら、
モヤモヤしてしまって、
泣けなかったと、思うのだ。
あの台詞は、あおいちゃんだからこそ、
響くし、良かった。
私は、結局、人があたりまえに持っているものを持てなかったことをひきずっている。
いつも誰かと比べて、劣等感を感じている。
比べても仕方ないのに。
人と比べない生き方をしたいのに。
どうしたらできるのかなぁ。。