1年以上前から母親と絶縁している。
わたしは何度も何度も母の間違いを指摘し、真剣に向き合おうとしてきた。
絶縁に至った理由を簡単に説明するなら、要するに金銭問題である。
わたしが神奈川に越したのは2011年。
そこから10年以上に渡り、毎月必ず1週間ほど仕事を休んでは茨城の実家に帰省し、母には金銭的にも精神的にもバックアップしてきたつもりだった。
ところが数年前から彼女の金遣いは突然荒くなった。
ネットで知り合った男にお金を送るという、訳の分からないこともしていた。
結局自分で支払えなくなってはわたしに金を建て替えてもらうという自体に発展し、それが何度も繰り返された。
当時、わたしが毎月2時間半もかけて茨城に帰り母親の面倒を見てきたのは、そこに母への愛があったからである。
占い師という仕事は電話とタロットさえあればどこでもできるが、そうは言っても毎月帰るのはしんどい。
それでも、当時のわたしには母への愛があったから続けられた。
ところが、母親はその気持ちを踏みにじるようにしてわたしにさらなる迷惑をかけたのである。
わたしも仏ではないので、ついに「何回お金を使い込めば気が済むんだ」と怒った。
それに対して彼女は逆ギレし「私たち縁を切りましょう」とのたまった。
呆れてモノも言えないとはこのことだ。
散々世話になった息子に迷惑をかけ、さらには逆ギレし「縁を切りましょう」である。
この瞬間、わたしの中での母への愛は一切無くなった。
もう永遠に彼女と関わることはない。
彼女が倒れて運ばれようが、死に直面していようが、関わる気はない。
彼女は今でも「自分は悪くない」「自分の何が悪かったのか」と思っているようだ。
きっと彼女には彼女の言い分があるのだろう。
親戚から聞いたが、彼女は最近恋人と一緒に住んでいるそうだ。
それが例の「金を送っていた男」である。
60過ぎてパートナーができたのは一般的に見たら良いことだと思うし、せいぜい幸せになってもらいたいところだ。
あちらはあちらの正義によって幸せになり、もう二度とわたしの人生に関わってこないでほしい。
母と関係性が良好だった頃は「母の面倒を見るために早く死ぬわけにはいかない」などと、ある種の重い荷物を抱えて生きていた気がする。
今では抱えるものがなくなり、ものすごく軽い気持ちである。
そして怖いものもますますなくなった。
今回の一連の問題により、占い師としては素晴らしい経験ができたと心から思う。
人はどんなに長い付き合いであっても、価値観や次元が変われば一緒にいられなくなる。
それは嬉しいことでも悲しいことでもなく、ただ「そうあるだけ」だ。
これから先、わたしは自分とパートナーの幸せのために生きていこうと思う。