わたしが幼い頃に通っていた保育園にも、とても優しい女性の園長先生がいました。
わたしは当時から同年代の子とは気が合わず、毎日のように園長室に駆け込んでいましたが、園長先生はまったく怒らず、まるで自分の孫のように可愛がってくれました。
園長先生が出かけるときなど、わたしもあとをついて行ったり、お昼も園長室で食べたり。
園長先生の怒った顔など一度も見たことがなく、思い出すのは笑顔だけです。
そんな日々もあっという間に過ぎ去り、卒園してから20年ほど経ったある時。
ふと思い立ち、保育園に遊びに行ったところ、あの優しかった園長先生はだいぶ前にガンで亡くなっていたことを知りました。
当時を知る先生に話を聞くと、闘病しながらもギリギリまで働き、走り回る子供達を見ながら、趣味だった詩を書き残していたそうです。
その詩を読ませてもらうと、元気な子供達とは対照的に、日に日に動かなくなる自分の体のこと、そして徐々に死に近づいてゆく虚しさや寂しさなどが綴られていました。
当時、闘病中だった園長先生のことを知っていれば、お見舞いにも行きたかったし、感謝も伝えたかった。
わたしに優しい思い出を残してくれた園長先生は、詩に遺されているように、寂しい想いのまま亡くなったのかもしれません。
お墓の場所を教えてもらい、すぐに向かったのですが、その場所は山の中。
木がうっそうと生い茂り、薄暗く寂しい場所に、ぽつんと園長先生のお墓がありました。
その日は風も強く、空からは次々と木の葉が降ってきます。
ガンで寂しく亡くなったかもしれないのに、亡くなったあとまでこんなに寂しい場所にいたなんて。
呆然としながらお墓の目前まで行くと、不思議なことに、先程まで吹いていた風がピタリとやみました。
もしかしたら園長先生が風をとめてくれたのかもしれないな、と思いました。
お線香をあげて手を合わせ、心の中で感謝の想いを伝えましたが、今でも「生きている間にお見舞いに行ってあげたかった」という思いに苛まれることがあります。
わたしはなぜか「教師」という方々とはことごとく相性が悪かったのですが、唯一、園長先生だけは心から感謝できる存在でした。
「言葉は生きてるうちに伝えるべき」という気づきは、亡くなった園長先生からの最後の教えでした。
目を見て言葉を伝えられるってのは幸せなんですよね。