これは「占い師だから」というわけではなく、占い師になる前から、わりと他人の人生に首を突っ込むほうだった。
たとえば、友達から「最近うちの両親がケンカばっかりしてるんだよねー」などと聞いた場合、大抵の人は「そっか、大変だね」くらいで済ませると思う。
せいぜい「大丈夫?」くらい聞いて、あとは適当に終わらせるはずだ。
普通の人からすると「他人の家のことなんて深く聞いたら失礼かもしれない」とか「面倒な話は聞きたくない」とか、そういった保身的な理由から、あまり首を突っ込んだりはしない。
でもわたしの場合、そこで「大変だね。両親はいつからケンカしてるの?」だの「どんなケンカをしてるの?」だの「これからあなたはどうするつもりなの?」だの、次々と首を突っ込む。
要は、首を突っ込むのが好きなのだ。
なぜ首を突っ込むのが好きなのか、あえて言うと「他人がどんなことを考えて生きているのか」とか「どんなことを経験しているのか」とか「どんなふうに動くのか」とか、そういうことを知りたいから、これはもう首を突っ込まないわけにはいかないのである。
「他人の不幸が好きで首を突っ込んでいる」というわけではない。
他人なんて基本、不幸だろうが幸せだろうがわたしの人生には何の関係もないし、間違っても「わたしが話を聞いて幸せにしてあげたい」などという、たわけたことを思っているわけでもない。
「分析して」、「何が起きているのか」、「一緒に考えてみたい」、この3点が、わたしの中にはあるのだ。
この世には何十億という人間がいて、その何十億の人間は、ひとりひとり違う人格を持ち、ひとりひとり違う人生を歩んでいる。
そんな「世界にひとつしかない人生」を生きてる人間の話なのだから、どんどん首を突っ込んで話を聞かなきゃ、もったいないというものだ。
語弊があるかもしれないが、人の人生は面白いから首を突っ込みたい。
そんな性格を煮詰めたら、いつの間にか占い師になっていた。
ところで「他人との接し方が分からない」などと言って、距離の取り方を恐る恐る測っている人がいるが、そんなことをしていては誰とも一生近づけない。
他人との接し方にマニュアルはないが、妙におどおどとした態度でいるより、明るくにこやかにしていれば、基本的に人間関係はうまくいくと思う。
人間関係がうまくいかない人は、よくよく観察すると「暗い」か「壁がある」ことが多い。
暗くて壁のある人間を無条件に受け入れていられるほど、みんなヒマじゃないし、そんなに平和じゃないのだ。
こちらが明るくにこやかにしていれば、相手も受け入れやすい。
明るくにこやかにするということは、こちらから「受け入れやすい空気」を作ることになるから、相手に対して親切でもある。
ところが、こちらがいくら明るくにこやかにしていても、いじわるをされることが時々ある。
でも、それはこちらが悪いんじゃなく、いじわるをしてくる相手側に問題があるだけだ。
こちらがどんなに仲良くしようとしても、すべていじわるで返してくる人間、そういう奴は人間の皮をかぶったゴリラである。
ゴリラなのだから話なんて通じるわけないのだ。
ゴリラだから目を合わせただけで攻撃してくるし、ゴリラだからすぐマウンティングだってしてくる。
ゴリラにはデリケートな神経なんてない。
そんなゴリラのせいで傷つくなんてバカバカしいので、そういった場所からは一刻も早く逃げるか、逃げられないなら相手にしないことだ。
ゴリラじゃなく、普通の人間が相手の場合、ふところに入るのはそんなに難しくない。
どうすればいいかというと、明るくにこやかにして、妙におどおどとした態度を出さないことだ。
視線と背筋を真っ直ぐ伸ばし、相手が言ってきたことを「楽しげに」聞く。
この「楽しげに」というのがミソだ。
自分の話を楽しげに聞いてもらって気分が悪い人間なんていない。
自分の話を楽しげに聞いてもらっても機嫌が悪かったら、そいつはやっぱりゴリラなのである。
相手の話を楽しげに聞いて、ある程度仲良くなってきたら、今度は、一見聞きにくいことを思い切りストレートに聞いてみるといい。
しかも、できるだけあっけらかんとした態度で。
たとえば、相手が30過ぎの女性の場合、明るくにこやかに「そういえば、結婚とかしてましたっけ?」と聞いてみたとする。
相手が「そう、まだ独身なのよー」と返してきたら、普通ならここで気まずくなるはずだ。
でも間違っても「あっ…そうですか…」などと、気まずい空気を出してはいけない。
「気まずい空気」というのは、自然にポコッと生まれてくるわけではなく、こちらが作り出してしまうから生まれるのだ。
一見気まずい瞬間こそ「まあー。私も結婚してないんですよー。私の場合、結婚『できない』だけかもしれないけどー!」などと大げさに言って笑いに変えるべきだ。
そうすれば相手は「そんなことないでしょー」とか「私も結婚『できない』人間なのかもしれないわねー」などと言って話は止まらずに回っていくし、気まずくならず、笑いになる。
話はどんどん回していったほうがいい。
気まずい空気は、淀んだところから生まれる。
空気は、どんどん回していけば絶対に淀まないし、淀まなければ気まずくはならない。
この際、前後の繋がりなんてなくたっていいから、何か思いつくままに話す。そのくらいの勢いでちょうどいい。
家族の話をしていたと思ったら、急にハムカツの話をする。それくらいのことをしたっていいのだ。
話は多少大げさなくらいでもいい。
磯野貴理子や明石家さんま、高田純次に「気まずさ」がないのは、きっと話が大げさだからだと思う。
人間関係が苦手な人、会話が苦手な人は、どこか真面目過ぎることが多い。
人間関係がうまくいくためなら、話なんか少し大げさだっていいので、どんどん突っ込んでみるべきだ。
ただ、やってはいけないのが、首を突っ込んだ挙句「私が何とかしてあげる」などと安請け合いすることだ。
自分の人生すらままならないことがあるのに、他人の人生なんて他人が何とか出来るものじゃない。
だから絶対に「私が助けてあげる」なんて言ってはいけない。
もしどうしても他人を助けたいなら、ユニセフの親善大使でも目指すしかないし、それができないなら、首を突っ込んでもせいぜい「一緒に考えて分析してみましょう」くらいでとどめることだ。
わたしは占い師だが、他人を助けることなんてできないし、宿命を変えることも当然できない。
占っていて、どうしてもダメになる結果しか出ないこともある。
でも、話は聞くし、首はどんどん突っ込んでいこうと思う。
突っ込んでいった先に、何か新しい光や、面白い道があるかもしれないから。
とにかく、自分がゴリラにならないようにだけは気をつけたい。