「リクルートは子会社を食べて生きている。」
「リクルートは子会社を食べて生きている。」
今のリクナビネクスト(中途採用媒体)、昔のB-ing(週刊就職情報)、とらばーゆ は、
「リクルート情報出版」(通称:JS) という子会社が版元で売っていた。
当時は、まだリクルートブック(無料宅配新卒情報誌:現在のリクナビ)が全盛期を迎えようと
していた時であり、その商品はリクルート本社の広告事業部門が担当していた。
この事業がリクルート発祥の大元であり、保守本流の事業部門である。
リクルートは子会社の「リクルート情報出版」が小さな頃は、勝手にやらせておこうという感じだった。
せっせと他の住宅情報事業部(週刊住宅情報)や、教育機関広報部(大学や専門学校の宣伝情報誌)
人事教育事業部(教育プログラム開発販売)に注力していた。
特に、住宅情報事業部(通称:JJ)は、私が入社した頃、大きな伸びが期待されていて大量の
同期が配属になった。当時、JJシフトと呼ばれていた。
もちろん、「リクルート情報出版」も相当伸びていたので、相当な人数の同期が入社と同時に
出向させられた。
当時、「リクルート情報出版」の社内の合言葉は、「本社の広告事業部に追いつき追い越せ」
であった。
「自分たちの力で本社を追い抜いて見返してやろう」 というエネルギーに満ちていた。
社風もリクルート本社より自由で、月末に全社目標を達成すると、役員自ら社内で炭火で魚を
焼いて夕方から酒を飲んでいたらしい。
中間管理職は次世代の取締役を目指し、若手はマネージャーを目指し、
一丸となって頑張っていた。
その甲斐あって、みるみる業績が伸びてきた。
そして、売上1000億円到達が見え、本社の広告事業部の売上を追い越そうとした時に、
リクルート本社から急なお達しがあった。
「はーい、本社と合併しなさい。」
「リクルート情報出版」の社員たちは、
「えー!!ここまで頑張ってきたのに、今までの努力は何だったんだ?」
と、モチベーションがかなり下がったそうだ。
*当時の新規事業INS(情報通信事業)事業に、お金も人も必要だったから合併したのだろう。
この辺からリクルートはおかしくなって、どんどんリクルート事件に突っ込んでいった気がする。
現在のリクルートエージェントも「「リクルート情報出版」と実態上同じ道を歩んでいる。
小さかった頃は、「そんな会社がグループ内にあるのか?」とか、「人身売買はやめろ」とか、
「中途求人媒体事業にとってはじゃまだから、そんな会社は無くしてしまえ」とか言われていた。
ところが、1998年ぐらいから大きく風向きが変わってきた。
求人情報誌が売れなくなり、リクルートエジェント(人材紹介業)のプレゼンスが大きくなってきた。
売上も利益も毎年着実に伸びてきた。
お客様からも、「求人媒体だけでは芸が無い。人材紹介と併せて、もっと総合的な企画提案を
してほしい。」 という声が大きくなった。
この頃から、リクルートによる「リクルートエージェント乗っ取り計画」が着実に進められ、
現在、プロパー社員は最高位でも執行役員どまり、経営ボードはリクルート本社から
天下り役員が来るようになった。
これは、人材派遣のリクルートスタッフィングも同じである。
一つの事業を立ち上げるために、畑を耕し種をまいた人たちは、だいたい40歳ぐらいで
放出され、軌道に乗ったら本社から天下り役員が来る。
しかし、世の中を見渡すと、どこの大企業も同じ事をやっているので、何もリクルートが特別な
わけではない。
まだ、他の大企業に比べると、子会社のプロパーに優しい方だと思う。
他の大企業であれば、プロパーは執行役員にもなれないし、社員の平均年収も親会社と
大変大きな格差がある。
リクルート株も買えるので、コツコツ買えば数千万円の売却益も享受できる。
それを考えると、恵まれていると思った方が良い。
ただ、これからリクルートの子会社に入社する人たちは、「自分が社長になれる」などと
勘違いしない方がいい。
夢の無いことを言うようだが、後からわかるよりいいでしょう?
「今の内からどうなっても食えるように準備しておいてね」 という意味です。
最後に、リクルート本社内での社員間の競争は子会社よりもずっと厳しいので、
逆に本社に入社する人たちは、その辺を十分に覚悟しておいてくださいね。
今日は最後にフォローのコメントを入れたらから、俺は消されないかな?
ヘタレだな。
あー、気持ち悪い。二日酔いだ。
「名もない草も実をつける いのちいっぱいの花を咲かせて」 みつを
合掌。
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