勇気を奮い立たせる彫刻(2)――パルテノン彫刻 | 大阪の禅寺 天正寺だより(佐々木奘堂住職)

勇気を奮い立たせる彫刻(2)――パルテノン彫刻

 私がパルテノン彫刻から学んだ一番大きなこと、
それは姿勢(身体の姿勢、生きる姿勢)において、
本当に自分が自分である、そこを本当に探求していく勇気です。
 これを本当に真剣に探求していけば、
勝手な思い込みや信念、
「これが正しい」「あれは間違い」という答えのない迷路、
これらは自ずと、跡をひそめていくというか、
あってもさして問題とならなくなるように思います。

 現在残っているパルテノン彫刻の中で、顔や全身が一番
しっかり残っているものは、「ディオニュソス」です。
 ディオニュソスは、本当にゆったりと坐り、
悠然と酒(ワイン)を飲んでいます。
 ・注 右手の先や杯の部分は、なくなっていますが、
  他のディオニュソス(=バッカス)の彫刻は、
  たいがい杯をもっていますから、
  このディオニュソスも酒を飲んで
  いるところだとされています。
   ディオニュソスは「酒の神様」ですから、
  「酒を飲んで、けしからん」などと言わないでください。

 私が、もしこのディオニュソス彫刻に出会わなかったら、
と想像すると、ゾッとします。
 私は坐禅や姿勢の探求をしてきましたが、
これに出会ってなかったら、
「すわるのは、楽なことである(特に足は楽)」
「すわって、悠然と杯などに、手を伸ばすことができる」
このような当り前のことすら、死ぬまで、気づかないまま
だったように思います。

 「坐禅」というのも、要するに、すわることです。
 当時のインドでは、現代のように椅子がないですから、
地面に腰を下ろしますが、足は楽です。
腰をおろして、悠然と、会話をしたり、食事をしたり、
いろいろとしたでしょう。
 「坐禅」も、そういう楽にすわれる形です。

 ですが、坐禅を修行しているなどという人の実態は
どうでしょう?
 「坐禅は足が痛い!」
 「痛いのを我慢するのが坐禅だ!」
 「自分は痛いのを我慢して、すごい修行をした!」
 このような本末転倒ばかりです。
 これはどういうことなのでしょう?
 続く・・・