「私はだまされていた」体験――本物に接して | 大阪の禅寺 天正寺だより(佐々木奘堂住職)

「私はだまされていた」体験――本物に接して

 古代ギリシャ彫刻の本物とコピーで天地の差がある
ことを書きました。私自身、この天地の差に、本当に
愕然としたのですが、これは私だけの体験ではなく、
以前から、このように述べている人が、かなりいます。

 日本人で、古代ギリシャ彫刻の第一人者とも呼ばれた
澤柳大五郎(故人)の本から引用します。
(岩波新書『ギリシアの美術』から)

~彫刻館で初めてギリシア彫刻の原作に接した時、
わたくしは思わず「私は欺されて居た」とつぶやいた。
 ・・・無論わたくしはギリシア彫刻に原作と模索のあることを
知って居た。
・・・ゲーテの時代と違って今では、どんな美術史の本でも
原作と模索とははっきり区別されて居る。
誰もわたくしを 欺したわけではなかった。
どれが原作でどれが模索かは写真や書物で十分
知って居た。・・・それにもかかわらず日本で抱いていた
わたくkしのギリシア美術観が根底から揺らぐのを感じた。
原作と模索との天地の差はわたくしの予想を
はるかに超えていた。


 この差に、私も、本当に愕然としました。
原作と模索とで、これほどの差があるものは、
他に想像もできません。
 「ミケランジェロの彫刻を佐々木が必死にまねて作った彫刻展」
を、「ミケランジェロ彫刻展」と省略して、公にしていたら
完全な詐欺ですよね。(その題を信じて、中に入ったら、
「実は誰それのコピー」と書いてあったら、「だまされた」と
思いますよね。)

 ですが、これと同じくらいの天地の差があるにもかかわらず、
「古代ギリシャ展」という題で公にされ、中に入って、よく見ると、
「ローマ時代のコピー」と書いてあるのです。
 ですが、神戸市立博物館に入って、「だまされた」と思う人は、
まずいないように思います。
 この天地の差は、ギリシア彫刻の本物を見た人
でないと、わかりようがないからです。
模索(コピー)だけしか見ていない人に、
「本物との天地の差を感じろ」と言っても全く無理ですね。

 このようなことを思うにつれ、私はいたたまれない気持ちに
なってきます。
 では、なぜこのようなことになっているのでしょう?
 このことの多少の説明は続きで。


●この前の文章 本物とコピーの天地の差


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